●広く同意を得られるテーマ、平成という時代から探す

 以上から読み取るなら、「一つ前の時代」から「リアリティーのある」「広く同意を得られる」テーマを探すのがよい、となる。つまり「平成」という時代を見つめることだ。

 代替わりにあたり、平成とは、「少子高齢化」と「格差社会」が進んだ時代だ、という議論がよくされていた。だから次の世代は、このあたりをテーマにするのがよいかと言えば、そうではないのが苦しいところだ。

 この二つ、皇室にとって実に難しいテーマだと思う。

「少子高齢化」といっても、なぜ産まないのか、産めないのか。増える高齢者を誰がどこでケアするのか。「解」を探ろうとすると、価値観と立場が絡み合う。「満場一致」どころか「過半数」の同意を得るのも難しい。「子どもを産みましょう」などと、政治家だってうっかり言えば「失言」になる。

「格差社会」に至っては、もっと厳しい。「勝ち組」「負け組」という言葉が広まり、普通に使われるようになったのも平成で、それが「格差社会」の進行を端的に表していると思う。

 皇族を「勝ち組」と見る人も出かねない。小室圭さん(27)という眞子さま(27)のお相手である若い男性への世間の反応を見るにつけ、そう感じる。彼は皇室に入るわけではないが、彼を見る目の冷たさは、時代とは無縁ではないはずだ。

 政治学者の御厨貴さん(67)は2008年、「文藝春秋」誌上でこんなことを語っていた。

「いまの両陛下までは戦争、敗戦、独立という国民共有の体験があったけれど、皇太子の世代になるとそれがない。つまり日本全体から『歴史』が失われつつある、ともいえるわけで。皇太子はその象徴かもしれません」

 そう私たちは、歴史の失われた時代を生きている。

 もう一つ、皇太子さまと雅子さまの代が始まるにあたり気がかりなのが、「助走期間の短さ」だ。

 今の陛下が即位したのは55歳、その時美智子さまは54歳だった。皇太子さまは59歳で即位し、雅子さまはその時、55歳。数字を比べれば、少しだけ助走期間を長く持っての即位となる。が、どうも実感とは遠い。

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