黄島は、江戸中期、西九州の鯨漁の拠点となった。最盛期の明治から大正時代にかけて島の人口は1千人に上り、遊郭も2軒建つほど栄えた。頴川家は鯨の網元でもあった。

 貿易船に乗って五島にやってきた人々が住み着き「頴川」を名乗った可能性はないのか。原田氏は、「それも否定できない」という。その場合でも、「陳氏であることを何らかの方法で証明しないといけない」と話す。

 16世紀から17世紀。五島には、「私貿易」の商人たちが続々とやってきた。その一人、王直は五島・福江を根拠地とし、唐人町までできた。近松門左衛門作の浄瑠璃、歌舞伎でも知られる「国性爺合戦」の主人公・鄭成功の父・鄭芝竜は、長崎・平戸を拠点としていた。そんな一群の中にいた陳氏の中の誰かが、五島に住み着き、私の祖先となったのだろうか。

「陳さん世界大会」にカンボジアから参加した陳廷偉氏は、「親から陳の子孫だと教えられた。共通の祖先を持つのは喜ばしい」と誇らしげに語った。

 18年の香港大会では、ステージに「一帯一路」の文字が躍っていた。中国・習近平政権の看板政策を表すスローガンに、一瞬ドキッとしたが、華僑の人たちからは、「勢いを表すもので、意味はありません」「私たちは政治には関わりません」と、クールな声が返ってきた。それも、故国喪失の歴史を体験した陳姓の人たちの血なのだろうか。(ノンフィクション作家・高瀬毅)

AERA 2019年2月18日号