伐採した木をトロッコで運び、木を整え、窯に入れる。窯から踊るように噴き出す炎をじっと見つめる。できた炭を窯から掻き出す。炭焼き職人になりきる演技のみならず、スナックで焼酎を飲むシーン一つとっても稲垣は「意外と難しかった」と振り返る。

 気持ちは役になりきっていても、心だけで演じるわけではありません。この映画では、自分がこれまで経験したことのないアプローチが多かったように思います。

 心も身体も、すべてにおいて気をつけました。

 俳優って見ている人にわかりやすく説明しがちなんですよ。「今は悲しいシーンだよ」とか「今俺は怒っているんだよ」とか。でもそれって、トゥーマッチな時があるじゃないですか。その加減は難しいですよね。俳優は、表現者として時に親切なところも必要ですが、そこに勢いがありすぎると見ている方はバカにされた気分になりますから。

 片田舎で炭焼きをしながら、平凡に暮らす「普通の人」。普通を“普通”に演じ切ることがどれほど難しいかを初めて知る現場になった。

 自分で言うのも難しいのですが、紘という人間の優しさを表現するのに、僕はこれまでのお芝居だったら、もうちょっと感情を面に出していた気がします。心に湧き上がった思いはきちんと顔に出し、見ている人にそれを伝える。それが演技だと思っていたので。でも、阪本監督からは「表情を抑えて」とか「感情的になりすぎないで」といった要求が多かったんです。

 例えば、長谷川さん演じる元自衛官の瑛介が自暴自棄になって暴れまくった後、薄暗い家の中でポツンと一人、あぐらをかいているシーン。「明日出頭するからそれまで一人にしてくれないか……」と言う瑛介に紘が声をかけるんですが、ここでは、「声をかけたいのにどんな言葉をかけていいのかわからない」という紘なりの優しさを表現する必要がありました。ところが、僕が演じると甘く優しくなりすぎるみたいで、監督からは「もっと不器用に、ぶっきらぼうに」とすごく言われました。素の自分が出てしまうというか、これまではそれが少し出ても許されるような、甘い役が多かったんですよね(笑)。

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