「来た来た、あのマキタがお出ましだよ!」

 はやし立てる友人らに「はしゃぐんじゃないよ」とばかりにクールにキメる私。「やっぱり東京の人は着こなしが違うね~」なんて言われてほくそ笑む。借り物なのに。ひとしきり旧友たちと浮ついた話に興じた。皆、私を上に置いてくれる。

 調子に乗った私は次々と旧友達をいじって回った。「なんだこのシード感は!」。みんな「本当の自分」を知らない。うまく騙せてる。

 私は49歳になった。アラフィフ丸出しだ。私が世に出られるようになり始めたのは四十ぐらい。つまり、二十歳の頃から考えると、世に出るまでは20年もかかっているということ。プライドが高く、世間知らずで、意気地なし。しかも、自分が大層面白く、なんならカッコいいとも思っていた。だから頑張らなくても世間は自分に気づいちゃうだろうと。

 20年かかったが、当時目指した場所には一応立てているとは思う。

 読者のなかに二十歳あたりの年頃の人がいたら、この人生をどう思うだろうか。「へぇ」と一言、興味無さげに言ってほしい。二十歳の私ならそうしたはずだから。

AERA 2019年2月4日号

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マキタスポーツ

マキタスポーツ

マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。子供4人。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである。』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞。近刊に『越境芸人』(東京ニュース通信社)。『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)発売中。

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