61歳の新入社員 元校長のプログラミング教育奮闘記

連載「61歳の新入社員 元校長のプログラミング教育奮闘記」

入社して1カ月後のオフサイトミーティングで言った逗子海岸での一コマ。新入社員(私と本当の新卒女性社員)も入ったので、「今年1年みんなで頑張るぞー」的な、青春ドラマのような一枚。(左から3人目が私、4人目が代表)
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入社して1カ月後のオフサイトミーティン...

 61歳で公立小学校の校長を定年退職した福田晴一さんが「新入社員」として入社したのはIT業界だった! 転職のキーワードは「プログラミング教育」。福田さん奮闘の日々をお届けします。

【61歳で新入社員となった福田さんの青春ドラマのような一枚?】

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 昨年は、私の60余年の人生の中でもトップになるぐらいの激動の1年だった。

 まずは40年の教員生活にピリオドを打ったこと。

 公立小学校の校長として毎朝校門の前で子どもたちと挨拶し、教員たちからは毎日あらゆる相談を受け、時には親御さんたちからの厳しい相談、苦言の電話の対応をし、運動会の当日は誰よりも早く起きて天気をチェックし……。公立小の校長としては「型破り」なタイプだったと自他共に認めてはいるが、やはり最終的には校長として「正しい判断」を下すことに心を割いてきた日々だったと思う。

 それが4月からは生活は一転した。

 なんと渋谷にオフィスを置く、プログラミング教育を幅広く推進するNPO法人「みんなのコード」の新入社員となったのである。ボスは30代前半。20代、30代のハイクオリティー、ハイスペックの若者たちに混じって白髪混じりの私が仕事をしていくことになったのである。もはや誰も私に「正しい判断」など求めていない。いや「正しい」ことがあまり必要とされない世界、というべきか。

 ネクタイを外し、MacBookを小脇に抱えてちょっと若者ぶり……1年前には想像だにしなかった自分がいたのだ。

 なぜこの道を選んだのか。少し話は過去に遡る。

 私が小学校教員になったのは、昭和54年のこと。この年はじつは今、注目される「特別支援教育」に関しては、エポックな年だ。今は「インクルーシブ」「共生」と言う言葉がトレンドであり、学校も「障害のある人も一緒に学ぶ」という風潮になっているが、昭和54年以前は「就学猶予」という表面的な制度で、「障害のある児童生徒は無理して学校に来なくていいですよ……」と、在宅を暗にすすめるシステムであった。

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それが、昭和54年…

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