読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした。(中略)

 そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても>

 これは、1998年にインドのニューデリーで開かれた国際児童図書評議会(IBBY)世界大会の基調講演の一節だ。94年、美智子さまが英訳・構成した詩集『どうぶつたち』も後押しし、詩人まど・みちおにIBBYの国際アンデルセン賞作家賞が贈られた。子どもの本の世界とのかかわりの深さは関係者に知られており、「子供の本を通しての平和」というテーマで講演を依頼され準備を重ねてきたが、インドによる核実験の影響に配慮し、直前になって訪問は取りやめざるを得なくなった。美智子さまはプログラムに穴を開けてはいけないと心を痛め、急遽ビデオに収めた講演が会場で上映された。

 収録に立ち会い、のちにIBBYの国際理事も務めた編集者の末盛千枝子さん(77)は言う。

「子どもの頃にどのような本に出会い、成長する時にどのような影響を与えてくれたかという、ご自分にしかわからない極めて個人的な思いを率直にお話しされたのです。それは誰の人生にとっても実に貴重な物語となって語りかけるものでした」

 講演で美智子さまは、新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』にも触れた。ある日、でんでん虫は自分の背中の殻に悲しみが詰まっていることを知り、「もう生きていけない」と友だちに嘆く。すると「それはあなただけではない」といわれ、別の友だちを訪ねても答えは同じ。でんでん虫はようやく悲しみは誰でも持っているのだと気づき、嘆くのをやめたのだった。

 実は末盛さんが初めてこの話を聞いたのは、美智子さまがバッシングによるストレスによって声を失われた93年のことだ。

「ほとんど聞こえないような、囁くような小さいお声で話してくださったのです。これほどおつらいことを、この方は子どもの時にお聞きになったお話で乗り越えようとしておられるのだと本当に驚き、感動致しました」

 末盛さんは、この講演録を『橋をかける 子供時代の読書の思い出』として日英両語で出版。ロシア語、チェコ語、ポルトガル語(ブラジル版)、中国語、韓国語などにも訳され、大きな反響を呼んだ。(ノンフィクションライター・歌代幸子)

AERA 2019年1月21日号より抜粋