かつて食堂だった古い一軒家を改装したオープンスペースでくつろぐ家冨万里さん。ここの運営にも関わっている(撮影/東川哲也)
かつて食堂だった古い一軒家を改装したオープンスペースでくつろぐ家冨万里さん。ここの運営にも関わっている(撮影/東川哲也)
【遠野醸造・代表取締役】太田睦さん(60)/早期退職後、シニアボランティアとしてアジアを巡った。東ティモールのコーヒー農園を参考に、持続可能で地域経済と共に成長するビール事業を構想している(撮影/写真部・東川哲也)
【遠野醸造・代表取締役】太田睦さん(60)/早期退職後、シニアボランティアとしてアジアを巡った。東ティモールのコーヒー農園を参考に、持続可能で地域経済と共に成長するビール事業を構想している(撮影/写真部・東川哲也)
遠野だけでなく沿岸部の釜石にも、若い世代の起業家が集まっている。12月中旬、初めてメンバー同士の親睦会が行われた(撮影/写真部・東川哲也)
遠野だけでなく沿岸部の釜石にも、若い世代の起業家が集まっている。12月中旬、初めてメンバー同士の親睦会が行われた(撮影/写真部・東川哲也)

 かつての「ガングロ女子」が過疎地に「センター街」を生み出す。地元産ホップを生かし、元研究者がクラフトビールの醸造所をつくる。観光客を呼び込むだけでなく確実にお金を生んで地域経済を回していけるような街こそ「持続可能な街」になる。

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 鈍色の空から霙(みぞれ)まじりの粉雪が降りだしてきた。岩手県の中部に位置し、古くから三陸沿岸へ通じる街道の宿場町として栄えた遠野市。昨今では2011年の東日本大震災で甚大な津波被害を受けた釜石、宮古、大槌など沿岸部で活動する災害ボランティアの後方基地となったことでも知られている。古くから「外」の人々を受け入れ続けてきた歴史のある山里が今、東北有数の「起業」の町として注目されている。

 事の発端は16年、ポスト資本主義社会を掲げ、地域で活躍する起業家を支援する一般社団法人「Next CommonsLab」(NCL)という団体が、全国から公募した17人の起業家を遠野市に派遣したことだ。デザイナー、エンジニア、広告プロデューサー、料理人……。これまで地域活性化とは縁のなかった人々が、自らの経験と技術を持ち寄り、起業をめざした。ミッションは遠野の地域資源を活用した新たな「生業(なりわい)」を生むこと。現在、プロジェクトのサポート業務を担う事務局のスタッフとして活動している家冨万里さん(32)は、人口2万7191人(18年12月現在)、高齢化率38.7%の遠野に「センター街」を作りたいと自ら手を挙げた。

 東京都大田区出身の家冨さんは、中学生の頃に壮絶ないじめを経験した。家族との折り合いがつかない時期が長く続き、思春期になっても、地元にも家庭にも自分の居場所を見つけることができなかった。入り浸ったのが若者の聖地・渋谷センター街。当時の女子高生の間では、髪の毛を金髪に脱色し、肌を黒くするという「ガングロ」ファッションが大流行。家冨さんも制服姿にガングロを決め込み、センター街をさまよい歩いた。

「親や世間が敷いたレールにはどうしても乗ることができない。自分が“普通”じゃないことは、よくわかっていました。そんな私にとってセンター街は唯一の居場所。ファッションはもとより、どんな生き方をしても受け入れてくれる場所に出会って、私らしく前を向いて生きていこうと、思えるようになったのです」

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