そのひとつが、都会では消えつつある純喫茶だった。ほかにも良質な温泉を活用した保養のプログラムや、海も山もある地の利を生かしたマルシェなど、温泉以外の資源をいくつも開拓した。11年に底を打った宿泊客数は、15年には308万人にまで回復。大型ホテル廃業後、リーズナブルな価格帯のホテルが人気となり、「安・近・短」という旅行者のニーズに合致した熱海は、数字上はV字回復を遂げる。その背景には市来さんら、若い世代の民間の力が存在していた。

「街づくりは『街のファンをつくること』から始まるんです。地元の人の満足度が上がれば、観光客の満足度も上がる。古くから熱海というブランドを共有し、その恩恵にあずかってきたからこそ、熱海にもう一度来てみたい、と言われることが、自分のことのように嬉しいのです」

 観光以外でも、東京で働く30代、40代の2拠点居住を実践するクリエーティブな世代がやってくる。週末だけ熱海の街づくりに参加する人もいる。市来さんは、中心市街地の「熱海銀座」にカフェやゲストハウスをオープン。今後は、空き家となった家をリノベーションして住居にし、街のプレーヤーを呼び込み、遠野同様、ここを起業の街にしたいと考えている。

「街の課題を解決することと稼ぐことが車の両輪になっていなければ、民間による街づくりは難しい。人口減少や高齢化率の上昇といった『課題先進地域』であるがゆえに、熱海の街づくりは50年後の日本に必要な街づくり、そのものだと思ってます」

(編集部・中原一歩)

AERA 2019年1月14日号より抜粋