平野歩夢がスノボとスケボーの“二刀流”を決断した理由

吉永岳央AERA
11月で20歳に。「ここから先は早い。何のために大会に出るのかを忘れず、成長する姿が伝われば」 (c)朝日新聞社
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11月で20歳に。「ここから先は早い...

 スノボで世界最高峰の大会を制した。五輪では2大会連続の銀メダル。 超一流の選手がスケボーにも挑む。自分のために、自分で決めた。

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 敗戦の記憶は、今も少し苦い味がする。

 2月14日のことだった。平昌五輪、スノーボード男子ハーフパイプ決勝。平野歩夢(ひらの・あゆむ=20)はアメリカのショーン・ホワイト(32)に敗れ、2大会連続となる銀メダルに終わった。

「自分の気持ちとして、今までで一番強い思いを持ってスノーボードをしてきて……。本当に自信があったので、まさかあの順位だとは思わなかった」

 わずか2.50ポイント差。金メダルは、間違いなく手の届くところにあった。紙一重で喫した黒星がしかし、平野を前例のない挑戦へと導くことになる。

「悔しさは十分に感じました。ただ、その悔しさを生かすようなことをしないと。悔しいだけで終わるのは、やっぱりもったいない。受け入れながら、どうやって次をめざすのか」

 迎えたオフシーズン。出した答えの一つが、五輪の新競技・スケートボードへの挑戦だった。

 4歳の時、平野はスノボとスケボーを同時に始めた。拠点はずっと、父・英功(ひでのり)さん(47)が地元の新潟県村上市で運営に携わる国内最大級のスケートパークだった。スノボの遠征には、昔からスケボーの板を持参している。そうやって、2種類の板に長く関わってきた。

「正式種目になった以上、スルーするわけにはいかない。(平昌五輪後)何をしないといけないかって考えた時、そこにスケートボードがあった」

 スノボからスケボーへ、ではなく、スノボもスケボーも。めざすのはあくまで二刀流だ。誰にも相談はしなかったという。

「自分のために、自分で決めました。正直、人に言われることではないし。誰かに言われて始めるというのは、すごく恥ずかしいこと」

 とはいえ、二つはまるで違うスポーツと言っていい。見た目が少し似ている以外、実は驚くほど共通点が少ない。

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