今年の夏、小学1年生の男児が30度を超す炎天下の校外学習で死亡した事故が報じられたとき、女性には頭をよぎった情景がある。2校目では同じく1年生を担任していた。秋の遠足で女性のクラスは最初にスタートし1番に到着。「わーい」と子どもたちは歓声をあげ、水筒の水を飲み始めた。すると学年主任がこれを制した。

「全員が着くまで飲んではいけません」

 横並びを意識しすぎるあまり、目の前の子どもたちのニーズに応えられない。

「だから痛ましい事故が起きてしまうと思いました」

 問題が起きると再発防止のためのルールは増えた。夏休みの研修は授業力をアップできる前向きな内容を期待したが、学校で起きたけがや事故で訴訟に至ったケースを学ばされた。

 だが、学校を不自由にする原因の一つに「親」の存在があると感じているのは先生だけではない。親自身もだ。今回のアンケートで親にも、学校の不自由の原因に「親の過干渉」があるかを尋ねたところ、過半数がそう感じると答えた。

 ただ、「検尿の容器を1日早く配布したことを謝るため夜に先生から電話がきた」「卒業アルバムの原稿確認が何度もあった」など、親からしても先生が過剰に気を使いすぎではないかという意見も見られた。

 横浜市に住む女性(38)は、小学生2人の子どもが母校に通う。放課後、学校の門はかつてと違い鍵がかけられ、校庭で遊ぶ子どもの姿は見かけなくなった。

「学校もあまり望んでいない印象を受けます。何かあったときの責任問題などがあるからでしょうね。昔はそんなことを考えずに遊べたんですけれど」

 女性は、学校は子どもたちにとって「先生はすごい!」と目を輝かせるような場であってほしいと願っている。忘れられないのは、星座の学習のとき先生が希望者を募って夜の学校の屋上で星を見せてくれたことだ。その輝きはいまも忘れない。

「すごい!と思える先生がいるだけで私は学校が好きでした」

 子どもが多様な体験をして、のびのび育つ場所であってほしいと願うのは、親も先生も同じだ。それなのに誰もが不自由を感じている。それぞれが変わるための行動を始めなければ、犠牲になるのは子どもたちだ。(編集部・石田かおる)

※AERA 2018年12月10日号より抜粋