日航再建にも貢献 稲盛和夫氏が経営で「コンパ」を大切にしたワケ (2/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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日航再建にも貢献 稲盛和夫氏が経営で「コンパ」を大切にしたワケ

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深澤友紀AERA#働き方
京都市内にある京セラの本社には100畳の和室があり、夜な夜な社員たちがコンパを開いている(撮影/滝沢美穂子)

京都市内にある京セラの本社には100畳の和室があり、夜な夜な社員たちがコンパを開いている(撮影/滝沢美穂子)

1985年ぐらいの京セラのコンパ風景。当時社長だった稲盛和夫氏(中央)を囲んで若手社員が身を乗り出しながら語り合っていた(写真:京セラ提供)

1985年ぐらいの京セラのコンパ風景。当時社長だった稲盛和夫氏(中央)を囲んで若手社員が身を乗り出しながら語り合っていた(写真:京セラ提供)

 お開きになって帰る途中、大田さんが「今日は盛り上がりましたね」と言うと、稲盛さんは「俺はしんどかった」と一言。

「一般的な飲み会といえば、下の人間が気を使うものですが、リーダーである稲盛さんが一番気を使うんです。社外でもそう。盛和塾の世界大会で参加人数が1千人ぐらいのときでも、稲盛さんはボランティアなのに各テーブルを回って酒を酌み交わしていました」

 日本航空の再建の過程でも、コンパは頻繁に開かれた。ただ、当初は日航側に抵抗感もあったという。大田さんはこう振り返る。

「最初の頃は『コンパは勘弁してほしい。社員が一生懸命仕事をしているのに社内でお酒を飲んでいると士気にかかわる』と言ってきた人もいたんです」

 再建でまず初めに取り組んだのが経営幹部へのリーダー教育。稲盛さんの講義の後には毎回コンパもセッティングされた。

 もちろん京セラのようなコンパ用の部屋などない。会費1500円を徴収し、会議室のテーブルに缶ビールやスーパーで買ってきた寿司、柿の種やするめを並べて開会だ。最初の頃はぎくしゃくして盛り上がらなかったが、会を重ねるうちに打ち解けて本音の議論が始まった。その後、コンパの輪は会社全体に広がり、非正規雇用社員も含めた全社員が受講した「JALフィロソフィ教育」を行い、幹部も整備スタッフもキャビンアテンダントも、みんなが輪になって酒を酌み交わした。

「フィロソフィ教育で学び、コンパで本音で話す。それを繰り返す中で、全社員が一体感を高めていけたのだと思います」(大田さん)

 大田さんはその過程を著書『JALの奇跡』にまとめた。

 京セラ広報によると、コンパは部署ごとに定期的に開かれるもののほか、研修後やプロジェクトのスタート、目標達成祝いなど頻繁に開かれるという。コンパの開催が決まると、幹事は社員食堂に料理やお酒を注文。献立は鍋料理が多い。稲盛氏はこう語っている。

「座敷で車座になって鍋をつつきながら酒を飲むという感じです。ビールでも飲んで、『オイ、○○君』と話しかけると、相手は『オレの名前を覚えてくれている』と急に親しみが増します。締めの雑炊は私がよく作ります。鍋のダシがおいしいので、塩と味の素で少しだけ味付けします。入れる順番が大事で、誰かが間違えようものなら、叱りますよ」(前出の週刊朝日)


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