しかし脱落した生徒は一人もいない。興味深いのは、「この取り組みの中で高校生たちは大なり小なり『追体験』をする」ということだ。対話を重ねていくうちに高校生たちの中に、被爆体験を能動的に探り、感受する変化が生まれてくるというのだ。被爆者の記憶も対話を通じて引き出され、「共同生成していく」。肉声によるオーラルヒストリーの力を実感させる話だった。

「長崎放送の証言も、高校生が被爆者の体験を伝えたいと思うのと同じように、聞く人を触発し、感染させるものがあると思います」(小倉さん)

 伊藤さんが収録した被爆者の話はいま、インターネットのサイト「被爆者の声」で聴くことができる。前述の「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」のほか、ビデオ版265人の話も収録している。CDや映像記録の一部には英語版もある。サイトの管理を担当する古川義久さん(64)によると、伊藤さんは、米ロ英仏中の核保有国各国の言語による発信もしたいと語っていた。しかし09年、急逝した。享年72。

「伊藤さんの残した音声記録は被爆からあまり時間が経っていない時の録音なので、迫力がある。こういうものを今後に生かしてほしいですね」(古川さん)

 証言から継承へ。私たちは時代の転換期に立っている。被爆から73年が経ち、この間に収録された膨大な「人間の物語」。それをどう次代につなげ、世界に伝えていくのか。唯一の戦争被爆国日本の私たちに課された責任だ。(ノンフィクション作家・高瀬毅)

AERA 2018年11月26日号