菊地かおりさんは、がん発病後に4度の転職を経験。休みの日は自宅近くの海で波音に耳を澄ませる「無の時間」を持つようにしているという(撮影/写真部・片山菜緒子)
菊地かおりさんは、がん発病後に4度の転職を経験。休みの日は自宅近くの海で波音に耳を澄ませる「無の時間」を持つようにしているという(撮影/写真部・片山菜緒子)
闘病しながら転職を検討している人へのマネーアドバイス(AERA 2018年11月19日号より)
闘病しながら転職を検討している人へのマネーアドバイス(AERA 2018年11月19日号より)

 今、がん患者の3人に1人が15~64歳の働く世代。思うように働けないことも少なくないが、働くことをあきらめなかった女性がいる。社会とつながることが生きる力になる。

【図版】闘病しながら転職を検討している人へ 5つのマネーアドバイスはこちら

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 茨城県在住の菊地かおりさん(42)が12年間勤めた人材派遣会社を退職したきっかけは、遠方への転勤辞令だった。

 辞令の2年前、34歳の時に初期の乳がんと診断された。左の乳房を部分的に切除する手術を受けた。手術前後の3週間は休暇を取り、復帰後1カ月間は毎日半休をもらって放射線治療に通った。すべてが有給休暇と傷病休暇で賄え、「正社員の制度保障のありがたみを感じました」という。

 乳がんは早期発見できれば治癒率が高い病気だが、目に見えない小さな細胞が体のあちこちに散らばっていることがある。菊地さんがトータル8年続けたホルモン療法は、再発防止の治療だ。定期的な通院を伴う。

 菊地さんは、キャリアコンサルタントとして、対面のカウンセリングと事務仕事の両方を担っていた。治療で仕事を抜ける度に、部署内でペアを組む同僚の女性に「負担をかけている」と感じ、その分をリカバーしようと無理を重ねることもあった。

 一方、家ではパーキンソン病の母の介護も引き受けていた。転勤の話が出たのは、母の病状が重くなってきた折。「もう無理」だと思った。母の介護を父一人に委ねるわけにもいかず、自身の病院通いも続いていたからだ。転勤を断り、退職した。

 次に選んだのは、契約社員の事務仕事。転職活動では、がんのことは伏せていた。

「私はカウンセラーとして、就労上の悩みを聞く側でした。でも、自分が病気になり、面接でがんだと、こんなに言いづらいものなのかと思い知りました」

 だが、組織の方針転換により1年半で契約が打ち切られた。その後、半年間は派遣の事務職に就いたが、やりがいを感じず、任期満了とともに退職した。

 すると、その2週間後に2度目の乳がんが見つかった。初期だが、1度目と同じ左側だったため、全摘して乳房の再建手術を受けることになった。再建が完了するまでに7カ月かかった。

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