自宅の祭壇にはまだ納骨されていない遺骨が置かれている。親交のあったゴルバチョフ元ソ連大統領からも供花が贈られた(撮影/ジャーナリスト・桐島瞬)
自宅の祭壇にはまだ納骨されていない遺骨が置かれている。親交のあったゴルバチョフ元ソ連大統領からも供花が贈られた(撮影/ジャーナリスト・桐島瞬)
二人が初めて出会った名護市屋我地のビーチ。ギターを手にしているのが樹子さん。右から3人目が翁長氏。当時は体重が100キロあったという(撮影/ジャーナリスト・桐島瞬)
二人が初めて出会った名護市屋我地のビーチ。ギターを手にしているのが樹子さん。右から3人目が翁長氏。当時は体重が100キロあったという(撮影/ジャーナリスト・桐島瞬)

 急逝した翁長雄志・前沖縄県知事の後任に、遺志を継ぐ玉城デニー氏が就任した。知事選で勝利を呼び込んだ陰には、妻・翁長樹子さんの貢献があった。

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「翁長があんな形で亡くなった直後の知事選。喪失感で支持者の皆さんの心が折れていないか心配だった。普天間飛行場の辺野古移設に20年以上、ずっとノーと言い続けてきた県民の方々も疲れ果て、『もうどうでもいいよ』と思うか、『いいや、やっぱりダメだ』と踏ん張るのかの瀬戸際だった。翁長の志を継ぐ玉城デニーさんが勝ってくれてほっとしています」

 任期途中の8月8日、膵臓がんで急逝した翁長雄志・前沖縄県知事(享年67)の妻、翁長樹子(みきこ)さん(62)は、そう口を開いた。

 夫の後任を決める選挙期間中は、翁長氏が遺した「県民には沖縄の将来を静かに考えてもらいたい」との言葉を守って沈黙を貫いていたが、一度だけそれを破った。投票日まで1週間と迫ったときに玉城氏の応援集会に駆け付け、壇上で涙を流しながら「簡単には勝てない。それでも簡単には負けない。命(ぬち)かじりです」と呼びかけたのだ。

「命かじり」とは、命がけの意味。文字通り必死に訴えたあの挨拶で、混沌としていた選挙戦の潮目が玉城氏へはっきりと向きはじめたと見る向きも多い。その時の心境をこう語る。

「(対立候補の)佐喜真淳氏を推す政府与党の応援が、民意を押しつぶすようにすさまじい形で行われていました。まるで権力の暴力と思えるぐらい。それで我慢ができず、四十九日の喪も明けないうちでしたが一度だけの約束で表に出たのです。でも、あそこで話したことは、いま思い返すと恥ずかしくて……」

 翁長氏にステージ2の膵臓がんが見つかったのは今年4月。

「2006年に胃がんで胃を全摘出してから体重は75キロ前後。それが昨年末ぐらいから減りはじめて65キロになった。最初は糖尿病と診断されたのですが、どうも様子がおかしいので再度検査をしたら、膵臓がんだったのです。翁長は那覇市長を務めた50代に急性膵炎を患い、父親は膵臓がんで亡くしています。体調管理には慎重で年に1、2回は健康診断を受けていましたが、それでもがんを早期に見つけることはできませんでした」

 がん宣告を受けて翁長氏が最初にしたことは、身辺整理だった。

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