僕、父が亡くなった時も泣かなかったもの。目の前の舞台に集中することで、なんとか自分を保っていたという感じ。亡くなった月も、その次の月も舞台があったけど、いつも父がそこにいるような気がしていました。悲しみは後から徐々に出てきたかな。それでも必死に務めてきたので、今回、追善公演ができるようになったことは素直に喜びたいです。

勘九郎 偉大すぎる父を持って大変なことはないかと言われることもあるけど、ないよね。

七之助:全然ない。僕たち兄弟は重度の父親コンプレックスですから(笑)。僕がグッときたのは甥たち(勘九郎の長男・中村勘太郎と次男・中村長三郎)の初舞台の時です。父が見たかっただろう、一緒に出たかっただろうと思って。

勘九郎:それから歌舞伎座新開場の時、どんなにこの舞台に立ちたかっただろうと思い、胸がいっぱいになっちゃったよね……。

 二人でいつもやってきましたが、父がいたらどうかなんてこと話したことはないです。ただ、僕は初役が来ると不安になるほうなので、いつも七之助に聞いていたよね、大丈夫かなって。なかなか見てくれないけども(笑)。

七之助:そんなことはないでしょう(笑)。ちゃんと見て、気になることは言ってきたよ。ここはこういうほうがいいとか。

勘九郎:とにかく、ちゃんと言ってくれる人がいなくなったので、お互いに遠慮はしないです。僕は父の役柄を受け継ぎつつ、父のやらなかった弁慶や関兵衛もやるようになりましたし、七之助も揚巻などをさせていただきます。中村屋はもともと芸域の広い家ですが、さらにそれを広げていくことも大事だと考えています。

七之助:僕は今回、平成中村座の小屋を浅草寺の観音裏に建てさせていただけるのがとても嬉しいです。平成中村座が初めてできたのも浅草だし、浅草の方たちには本当によくしていただいてきたから。今年僕たちがスペインへ公演に行ったときも、かんざしなどの浅草の職人の方たちが同行して、日本の伝統工芸品を実際に作って売ってくれたのがとても喜ばれました。今回も、浅草の町が盛り上がるように、いろいろと考えていきたいです。

勘九郎:父は祖父から「追善のできる役者になれ」と言われて育ったそうですが、僕たちもこうして父の追善公演ができる。そのありがたさを感じながら、秋の2カ月間を心して務めていきます。

(構成/ライター・千葉望)

AERA 2018年10月15日号