「魚河岸」の名で親しまれてきた東京都中央区にある東京都中央卸売市場(築地市場)が、10月、江東区の豊洲地区に移転する。この機会に、東京の魚市場の歴史を振り返りたい。毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』に掲載された記事を紹介する。

築地市場に並べられた生マグロ (c)朝日新聞社
築地市場に並べられた生マグロ (c)朝日新聞社

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 築地市場が開かれたのは1935(昭和10)年だが、実は大正時代まで江戸・東京の魚市場は日本橋にあった。その歴史を振り返ってみよう。

 1603年に江戸幕府を開いた徳川家康は、摂津国の佃村(大阪府)から漁師を招き、現在の佃に移住させて漁業権を与えた。わざわざ遠くから漁師を呼んだのは、発展途上の江戸より関西の漁師のほうが漁法にすぐれ、効率よく魚を取ることができたからだ。漁師は魚を幕府に納め、残りを日本橋近辺で庶民に売ることを許された。日本橋の川沿いに魚を売る店が立ち並び、あたりは一大海産物市場になった。日本橋は五つの街道の起点でもあったため、とてもにぎわった。

 だが、業者間での価格競争や不正、衛生面での問題が続き、明治時代に入っても解消されなかった。

 食料品の価格と品質を安定させることを目的とする「中央卸売市場法」が公布されたのは1923(大正12)年3月のこと。5年前に起こった米騒動(※注)の影響が大きい。市場は東京市(今の東京都)が管理することになり、移転も検討されたが、反対運動が起きていた。

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AERA編集部
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