真新しい看板に迎えられ、10月11日、いよいよ豊洲市場が開場する(撮影/今村拓馬)
真新しい看板に迎えられ、10月11日、いよいよ豊洲市場が開場する(撮影/今村拓馬)
AERA 2018年10月8日号より
AERA 2018年10月8日号より

 築地から市場が移転する豊洲は、関東大震災のがれきから生まれた。埋め立て地は工場地帯、そして最先端の臨海都市へと変貌。新たに「食の中心地」へと生まれ変わる。

【豊洲市場と築地市場の地図はこちら】

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「市場」という言葉には二つの意味がある。経済用語で使われる「マーケット」。そして、魚や野菜を売買する「市場(いちば)」。10月11日。世界の水産マーケットに影響力を持つ日本最大の市場(いちば)が築地から豊洲へと移転する。

 隅田川の河口に位置する築地市場から晴海通りを南進。隅田川、月島・晴海という二つの埠頭を越え、晴海埠頭と豊洲埠頭を結ぶ晴海大橋を渡ると一気に視界が開ける。左手に超高層マンション群、右手に豊洲市場の外観が飛び込んでくる。今でこそ豊洲は「市場」と「タワマン」の街として注目されている。隅田川よりも南の月島、晴海、豊洲の埠頭群について、銀座生まれ、銀座育ちの82歳になる老舗画廊の会長は証言する。

「隅田川の向こう側は暗くて、寂しく、親からは近づくなと言われて育ちました。交通の便が悪いという意味もあったと思います。何しろ交通手段がバスしかない。繁華街とは正反対の場末と呼ばれていました」

 豊洲埠頭は関東大震災で発生した大量のがれきを使って埋め立てられた。都民からの公募で誕生した名称は「豊かな土地」という意味の「豊洲」。最初に建設されたのは石川島造船所(石川島播磨重工業を経て現・IHI)の造船所。太平洋戦争後は、日本経済復興の要となるエネルギー供給基地となり、石炭、鉄鋼、電力、ガスの生成工場が林立した。一方、運河沿いの路地には長屋がひしめき、生活感がむき出しになった「街」を形成した。米国発祥のコンビニエンスストア「セブン-イレブン」の国内1号店(1974年開業)は、この24時間稼働の工場地帯で誕生。工場労働者たちの生活を支えた。

 豊洲が工場地帯から「臨海都市」へと変貌した契機は1990年。東京都が発表した「豊洲・晴海開発整備計画」にさかのぼる。当時、東京都はある課題に直面していた。サラリーマンなど昼間人口は増加したものの、地価の上昇に伴い郊外に転出する人が後を絶たなかった。都市特有のドーナツ化現象だ。

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