都心のIT会社に勤務する柴田麻衣さん(34)もその一人だ。30歳で結婚して、世田谷区尾山台に住んでいたが、以前から心の中で「海町に住む」と計画していた。20代で訪れた葉山の南仏のような景色が忘れられなかったのだ。3年前、家を建てるのを機に逗子に移り住んだ。

 1時間の乗車時間は趣味のアロマの勉強に充て、アロマセラピーの資格まで取った。

「東京にいると息が詰まる感じはあるけれど、通勤で頭がリセットされ、気持ちのリフレッシュにつながりました」

 移住してから子どもを産み、現在は育休中。つわりの時は、遠距離通勤がこたえたと話した。

「理解のある会社なので、つわりの時期は週3回リモートワークにして、ミーティングがある日だけラッシュ時間をずらして遅めに出社というふうに配慮してくれました。座れない時はグリーン車で帰っていました」

 16年に静岡県の三島市に移住した松久晃士さん(37)と綾子さん(31)は、三島から新幹線で都心の職場に通っている。

 移住で得たのは、「保育園」と「子育て環境」。妻の実家が三島市内にあり、「実家のサポート」も得られるようになった。

 由香里ちゃん(2)が保活には不利と言われる早生まれだったこともあり、出産前から保育園探しを続けていた。当時住んでいた目黒区だけでなく、品川区、大田区、神奈川県川崎市まで、通勤経路はくまなく探した。

「見学に行っても、申し込みリストにはずらーっと名前が書き込まれていて、こりゃダメだと。役所も相手にしてくれない。わかります? あの、歓迎されない感じ。途中から、私も妻も、電話するのがつらくなったんです」

 里帰り出産で三島に滞在するうち、晃士さんが言い出した。

「三島に住んでみるのはどう?」

 三島市では子育てを支援する制度が充実していることを知った。保育園もすぐ見つかった。

「子どもを町中で歓迎している。そんな雰囲気がうれしかった」

 新幹線通勤の費用は、会社の交通費支給の上限を超える。夫婦合わせて月7万~8万円は自己負担しているが、「こっちの保育園は園庭があるし、広い。こんないい環境で子育てできるなら、それぐらい払いますよという気分でした」(晃士さん)。

 このほか、AERAでは神奈川県逗子市に移住した二階堂美和子さん、千葉県南房総市と東京都内で2拠点ライフを実践する永森昌志さんに取材を敢行。取材に協力してくれた5人に、共通のアンケート(チャート)をしたところ、全員一致で「よくなったこと」として筆頭にあげたのが、「景色や眺め」と「穏やかな心」だった。

 想定外だったこととして、「家賃は思いのほか高かった」という回答も。冒頭の二階堂さんは、住まいの広さが35平米から現在は50平米と若干広くなったが、家賃は2万5千円アップした。細井さんは、「都内在住の頃と比べ学生時代の友人からイベントや食事に誘われなくなったし、誘わなくなった」という。

 移住で失ったものは「映画館と美術館」と永森さん。こんな回答からは、「消費都市」としての東京の姿が見えてくる。逆に移住して得たものは、未完成だからこそクリエーティビティーが刺激される田舎ならではの「余白」。年齢や職業が異なる仲間との「密度の濃い人のつながり」だと。

 5人が新しい生活を勝ち取り、それぞれが等身大に語った言葉からは、東京にはない価値と、東京だからこそ得られる価値との両方が浮かび上がって見えた。(ノンフィクションライター・古川雅子)

※AERA 2018年10月8日号より抜粋