「当時の昭恵さんには抜群の人気と知名度があった。だから政権は選挙で昭恵氏を送り込んだのです。しかも激戦区に。安倍さんの支持者は妻が来てくれたと喜ぶ。リベラル層には、『安倍さんは嫌いでも昭恵さんは好き』という人が結構いた。彼女は目立っていましたし、『女性活躍』という政権のスローガンにも合致するので、朝日新聞などリベラル紙はこぞって彼女を持ち上げました。これは使えるなと、夫も政権も彼女の人気を利用したのです」

●首相夫人が異例の選挙応援、激戦区で遊説を続けた

 アエラにも12年から17年にかけて、インタビューや対談で何度も登場している。そして石井氏の指摘どおり、16年参議院選挙時、昭恵氏は21府県で精力的に遊説をしている。行き先はいずれも激戦区。民主党政権時、菅直人首相夫人の伸子氏や、鳩山由紀夫首相夫人の幸氏が、首相の代わりに激戦区の応援に入った例はある。しかし、自民党政権では夫の選挙区外で首相夫人が一人でマイクを握ることは極めて異例だ。しかし、森友問題が発覚すると、安倍政権は一貫して昭恵氏に責任を押しつけ黙らせたように見える。

 昭恵氏の振る舞いは、第1次政権(06年9月~07年9月)と第2次政権(12年12月~)とでは、全く別物だ。

 07年、安倍第1次政権は参院選で惨敗。首相自ら体調の悪化を理由に政権の座を投げ出す格好で辞任し、「再起は不可能」とまで言われた。以降、首相夫人ではなくなった昭恵氏は全国の神社詣でに明け暮れる。その途中でめぐりあったのが「スピリチュアル系」と呼ばれる精神世界の住人だった。彼女は自身の変化をこう述べている。

「私は神様に『私を使ってください』と祈るようになってから、いろいろなご縁をいただけるようになった。縁を大切に人と人とをつなげて大きな渦をつくり、人を巻き込んでいくことが今の自分の使命だと思っています」(16年10月、城西大学創立50周年記念イベントでの基調講演)

 昭恵氏と精神世界とのつながりは枚挙にいとまがないが、若き日の彼女を知る聖心女子学院・聖心女子専門学校の同窓生はこう語る。

「専門学校はミッション系だったのですが、当時から全くキリスト教の教義には関心がないようでした。昔から難しい理論よりも直感、感性の人。もっと言うと、勉強したことがないのかも。とにかく天真爛漫(てんしんらんまん)なんです。人からいいと言われると、疑うこともなく、それでいいと思ってしまうタイプでした」

次のページ