小栗康平(おぐり・こうへい)/1945年、群馬県生まれ。フリーの助監督を務めたのち81年、「泥の河」で監督デビュー。米アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされるなど、高い評価を得る。監督作品に「死の棘」「埋もれ木」など(撮影/倉田貴志)
小栗康平(おぐり・こうへい)/1945年、群馬県生まれ。フリーの助監督を務めたのち81年、「泥の河」で監督デビュー。米アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされるなど、高い評価を得る。監督作品に「死の棘」「埋もれ木」など(撮影/倉田貴志)
「自画像」/面相筆とすずりで作品を描く藤田を自身で描いた。猫と女性像という人気のモチーフも見える/1929年 油彩・カンヴァス 東京国立近代美術館蔵 (c)Fondation Foujita/ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
「自画像」/面相筆とすずりで作品を描く藤田を自身で描いた。猫と女性像という人気のモチーフも見える/1929年 油彩・カンヴァス 東京国立近代美術館蔵 (c)Fondation Foujita/ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
「カフェ」/ニューヨーク滞在中に制作。窓の外に見えるカフェは、実はパリのカフェで、1920年に制作した銅版画を転用した/1949年 油彩・カンヴァス ポンピドゥー・センター(フランス・パリ)蔵(Photo (c)Musee La Piscine(Roubaix), Dist. RMN-Grand Palais/Arnaud Loubry/distributed by AMF (c)Fondation Foujita/ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
「カフェ」/ニューヨーク滞在中に制作。窓の外に見えるカフェは、実はパリのカフェで、1920年に制作した銅版画を転用した/1949年 油彩・カンヴァス ポンピドゥー・センター(フランス・パリ)蔵(Photo (c)Musee La Piscine(Roubaix), Dist. RMN-Grand Palais/Arnaud Loubry/distributed by AMF (c)Fondation Foujita/ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
「争闘(猫)」/第2次世界大戦中、ドイツ軍が迫るパリで描かれた。帰国後、1940年の二科展出品時「争闘」というタイトルが付けられた/1940年 油彩・カンヴァス 東京国立近代美術館蔵 (c)Fondation Foujita/ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
「争闘(猫)」/第2次世界大戦中、ドイツ軍が迫るパリで描かれた。帰国後、1940年の二科展出品時「争闘」というタイトルが付けられた/1940年 油彩・カンヴァス 東京国立近代美術館蔵 (c)Fondation Foujita/ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
「タピスリーの裸婦」/乳白色の作品のひとつ。布や猫を登場させることで、画面に華やかさを加え、対比によって肌の白さがさらに際だっている/1923年 油彩・カンヴァス 京都国立近代美術館蔵 (c)Fondation Foujita/ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833
「タピスリーの裸婦」/乳白色の作品のひとつ。布や猫を登場させることで、画面に華やかさを加え、対比によって肌の白さがさらに際だっている/1923年 油彩・カンヴァス 京都国立近代美術館蔵 (c)Fondation Foujita/ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E2833

 日仏を舞台に活躍し、没後50年を迎えた画家、藤田嗣治。60年にわたる画業を集めた展覧会が東京・上野で開催中だ。映画「FOUJITA」を撮影した小栗康平監督に、「戦い続けた」藤田の人生と重ね合わせながら話を聞いた。

【藤田嗣治の作品はこちら】

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 約100年前に描かれたことが信じられないほど。「乳白色の肌」と呼ばれ、画家を有名にしたキャンバスの中の女性の肌は、今も透き通るように真っ白だ。かと思えば、蠱惑(こわく)的なの絵や、はたまた炎に包まれた戦場を描写したゴツゴツした戦争画などが、まるで別の世界を描き出している──。

 ここは東京都美術館で開催中の「没後50年 藤田嗣治展」の会場。世界にその名をもっとも知られる日本人画家の一人である藤田嗣治(1886~1968)の作品、100点以上を紹介する史上最大級の展覧会となった。

「生涯を通じて、何かと戦い続けた人です。その戦いで、初めてあげた勝利が、『乳白色の肌』と呼ばれた藤田ならではの絵画技巧だったのでしょう。でも才能が豊かだったゆえに、その後も亡くなるまで、多くの試練にあい、さまざまな戦いに翻弄されることになるんですよね」

 藤田の生涯にわたる作品のひとつひとつを丁寧に鑑賞したあと、あらためてそんな思いを強くしたというのは、映画監督の小栗康平さん(72)だ。3年前、オダギリジョー主演で封切られた、藤田嗣治をテーマにした日仏映画「FOUJITA(フジタ)」の監督を務めた。

 トレードマークは丸眼鏡とおかっぱ頭。好景気のパリの狂乱に浮かれた、日本人最古(たぶん)のパーリーピーポー(パーティーピープル)。結婚歴はなんと5回など、破天荒なイメージで知られる藤田だが、映画「FOUJITA」では、打って変わって、その「静」の部分がクローズアップされる。絵画のように美しい画面のなかで、藤田がモデルをじっと観察したり、静かに制作に打ち込んだりする姿も印象的だ。

 藤田嗣治は、またの名をレオナール・フジタといい、1913(大正2)年、パリに渡って、モンパルナスで制作活動を開始した。絵が売れ出したのは、数年後、第1次世界大戦が終わった頃のことだ。日本画を思わせるような藤田ならではの画法が注目されるようになり、まもなく、作品をサロンに出せば黒山の人だかりができたり、作品が飛ぶように売れていったり。異国で時代の寵児となっていった。

 第1次世界大戦後の好景気に沸いたパリに集まって、自由気ままな暮らしを楽しんでいたモジリアニやピカソら、のちのビッグネームとも交友を結び、マン・レイの恋人だったモンパルナスの有名人、キキをモデルにヌード画も描いた。そんな美術史を地で行くような「エコール・ド・パリ」の画家の一人にも数えられる。

 小栗さんがそもそも藤田に興味を持つようになったきっかけも、その作品に見る独特の画法だった。藤田をテーマにした映画の企画が持ち込まれたあと、取るものも取りあえず向かったのは、藤田の作品が今も数多く残るパリ。そこで「本当に美しかった」と衝撃を受けたのは、藤田が描く女性の白い肌と線の細さだった。

 藤田の人物画には、西洋で発明された遠近法を使った、リアリティーや奥行きの探求はない。代わりに、錦絵や浮世絵を思わせる日本絵画特有の平面的な作品で、ヨーロッパの人々の心をわしづかみにした。これが「何よりすごいこと」と、小栗さんは心を打たれたという。

「明治生まれの日本男児が、たった一人でヨーロッパと向き合った。これも藤田にとって、大きな戦いのひとつと言っていいでしょう」(小栗さん)

 小栗さんは、藤田の人物画に見る、独特の視点にも注目する。映画監督ならではの切り口で、こんなふうに説明してくれた。

「藤田は人が好き。人の体も好き。とくに1920年代前半の人物画には、広角レンズではなく、望遠レンズで撮ったような視点で、人物をフォーカスすることの喜びみたいなものが、強く感じられます。遠近法のテクニックより、五感や記憶を大事にした。そんな独特な距離感も画面から感じることができますね」

 今回の展覧会では、最近とみに注目されるようになった藤田の戦争画も紹介されている。第2次世界大戦を機に日本に帰った藤田は陸軍の画家となり、戦地を訪問しながら多くの作戦記録画、つまり戦争画を手がけるようになる。エコール・ド・パリの優雅な作風とは打って変わって粗削りな戦争画、またカトリックの洗礼を受けた晩年の宗教画なども、今回の展覧会の見どころのひとつとなっている。

「作風の変化を通して、時代に発言したということだと思います。ただし、藤田は語りすぎるところが難点。戦争協力者として、のちに非難されることになってしまったのも、この饒舌さと無関係ではないでしょう」

 そんな小栗さんから、観客へのメッセージ。

「藤田が生涯をかけて貫いたものを、ぜひ見てほしい」

(ライター・福光恵)

AERA 2018年9月17日号