人とのつながりもあり、家族仲もよく、社会生活もしている。それでも「孤独だなぁ」と感じることがあると話すのは、会社員のアサコさん(53)だ。

 夫(55)は優しく、長女(18)と次女(13)との仲もいい。それなのに孤独に陥るのは、蓄積していく不満や疲れを、誰もわかってくれないからだという。

 いつも仕事と家庭のことで息つく暇もない。なのに、夫も子どもたちも、アサコさんに何もかも頼ってくる。難しい年ごろの子どもたちは、学校や父親に対する文句を延々と話す。

 本当は、ゆっくり読書したり好きなテレビを見たり、自分の時間を持ちたい。趣味のダイビングもしたいし、コンサートにだって行きたい。だけど、夫も娘もそんな気持ちを全く理解してくれようとしない。「どこかにご飯を食べに行く?」と誘っても、「お母さんは何が食べたい?」などと気遣うこともない。

 今は本音を押し殺し、何とかサバイブしている状況だ。友人や職場の同僚に愚痴っても、「それを幸せというのよ」と全否定されるのがオチ。母親に言おうものなら「だったら仕事をやめなさい」と言われるのが目に見えている。だから周囲には期待せず、SOSを出さない。仕事も子育ても、自分で選んだ道。でも、とアサコさんは続けた。

「家族すら理解してくれない孤独は、寂しさや空しさを伴います」

 孤独とは何か。見えてきたのは、「孤独」の多様性。そして、孤独をどう捉えるかは、その人の生き方そのものである、ということだ。

 都内に住む団体職員の男性(49)は、独身で一人暮らし。一人で家にいると寂しさを覚えることはあるが、孤独を感じることはないという。

「間違いなく言えるのは、孤独は家族がいるとかいないとかではないと思います。精神的なつながり、社会的なつながりが切れてしまっている状態を本当の孤独だと、私は思うのです」

 こう考えるようになったのは、田舎で暮らす両親の姿と深く関係している。仲が良いとはいえず、些細なことで正面からぶつかり喧嘩していた。夫婦であっても心が通わず話が噛み合わない関係は、外形的には問題ないようでも互いが孤独に見えた。

 かたや自分は一人だが、平日は仕事があり、休日も趣味の読書や美術館巡りなどをして社会や世界とつながっている。とりわけ仕事は、やりがいがあり、同僚たちから頼られていることもあり、孤独と思うことはない。つまり、孤独とは絶対的なものではなく、相対的でかつ主観的なものではないかという。

 男性は、「孤独の反対は安心」と言う。「安心」とは、病気で失業したり貧困に陥ったりしたときの行政のフォローがあると思えること。そして、たわいもない話ができる友人の存在だ。男性は言う。

「私の場合、仕事をしなくなると孤独を感じるようになると思っています。人の役に立っている状態が必要だと思うので、定年後は、ボランティアで子どもたちの登下校を見守る活動などしたいと考えています」

 孤独の形は人それぞれ。誰もが、孤独を救う鍵を持てるはずだ。(文中カタカナ名は仮名)(編集部・野村昌二)

AERA 2018年9月3日号より抜粋

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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