西野朗(にしの・あきら)/1955年生まれ。早大時代から日本代表に選ばれ、日立製作所(現・柏)でプレー。90年に現役引退し指導者となると、監督としてJ1歴代最多270勝。今年のワールドカップ(W杯)ロシア大会で、日本代表を率いてベスト16に進出。7月31日、任期満了で退任(撮影/写真部・小原雄輝)
西野朗(にしの・あきら)/1955年生まれ。早大時代から日本代表に選ばれ、日立製作所(現・柏)でプレー。90年に現役引退し指導者となると、監督としてJ1歴代最多270勝。今年のワールドカップ(W杯)ロシア大会で、日本代表を率いてベスト16に進出。7月31日、任期満了で退任(撮影/写真部・小原雄輝)

 サッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会で日本代表を率いた、西野朗監督。開幕直前での監督就任にも関わらず、過去最高に並ぶ16強入りという結果を残したが、その裏には監督ゆえの“孤独”もあったという。

──AERAで「孤独」の特集を企画するにあたり、まず話を聞きたいと考えたのが西野さんでした。ただでさえ「トップは孤独」と言われています。W杯日本代表監督の孤独の深さは、いかばかりだったでしょう。

 孤独と常に向き合っていたように言われてはいますし、改めて言われると確かにそうだな、と思いながら、自分ではどうだろう、と。どの瞬間、どの時期が孤独だったのか、といったことを思い返したいと思って、今回(取材を)受けたんです。

──どのような瞬間、時期に「孤独」を感じていましたか。

 周りに優秀なスタッフがいてサポートをしてくれて、一体となってチームをポジティブにつくり上げる作業をしている時は、決して孤独って感じないんですよね。ただ、どんなにたくさん情報をもらったとしても、監督は最後に決断をしなければいけない。しかも多くの猶予もない中で。自分だけで最終的に判断しなければならない場面を迎えている時は、確かに「一人」だなと思います。

──大勢といても孤独な時があるのですか。

 期待値とか可能性、楽しみが持てる時は決して孤独だとは感じない。ただ、チームって生き物なんです。どんな処方をしてもどんな手当てをしても、チームが生き返らない時がある。そういうネガティブな状況になった時、急にコーチの助言が少なくなっていると感じたり、沈黙も増えたように感じてしまう。こうした状況の中で立ち直るためのプランを構築しなければいけない時、孤独かなと思います。

──今回のW杯で、そうしたネガティブな状況に陥ったことはありましたか。

 4月に日本代表監督に就任した時がそうだったですかね。それまで技術委員長というスタッフの立場でチーム、監督を支えていましたが突然、命を受けて監督に就任しました。その時、自分に対する評価以上に、ファンやサポーターの代表チームに対する見方が変わってしまったのではないかと考えました。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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