一見基本中の基本のように思えるこの原則を、中央官僚のトップに君臨する秀才や教育機関の長、学生日本一の運動部の監督など錚々たる面々が守れないのは、意外にも人間の本能に起因するのだという。

 人間は危機に遭遇すると、「逃走」と「闘争」という二つの「トウソウ」が頭をよぎって自然と3原則に抗ってしまう。発表の場をなかなか設けず、いざ謝罪会見を開いても途中で打ち切ってしまうのは「逃走本能」であり、詭弁を弄したり開き直ってマスコミに反論したりしてしまうのは「闘争本能」。この二つの「トウソウ本能」をいかに抑えるかが、危機管理の3原則を守ることにつながるという。

 では、どうすればよかったのか。第1に考えることは、何を守り、食い止めるかをしっかりと意識することだという。

「すべてを守ろうとした日大の内田正人前監督、至学館大の栄前監督、財務省の福田淳一前事務次官は、大半のものを失ってしまいました。未成年女性に対するわいせつ事案で警視庁の書類送検を受けた元TOKIOの山口達也氏も、会見で自分が戻れる場所があれば戻りたいなど、中途半端に保身に言及したことでさらなるイメージダウンを招いてしまいました」(田中氏)

 田中氏は、失敗しない危機管理を「感知」「解析」「解毒」「再生」という四つのステージを順番に踏んでいくこと、と説明する。

 感知とは、危機を早期に感じ取り、しっかり事実を調べて真実に迫ること。解析は、犯した過ちや罪の重さを十分認識し、厳しめに展開を予測すること。解毒は公益を意識しながら「誠実な情報開示」「心に響く謝罪の言葉」「確実な再発防止策」「厳しい処分」などを発表すること。そもそも謝罪はこの解毒の段階における施策だが、冒頭の4者が解毒とは程遠い会見に終始したことが、その後の展開を自ら呼び込んだと言えよう。解毒まできちんと済ませたうえで、ようやく傷ついた信用や人間関係を修復するための「再生」に奔走することができるのだ。

 しかし、彼らはできなかった。なぜか。田中氏は、財務省、加計学園、日大、至学館の4者が抱える二つの問題点を指摘する。

「一つは強権的支配を可能にする人事権。日大の内田氏は人事部長でもあり、至学館や加計学園は理事長のワンマン。霞が関では、14年に創設された内閣人事局により中央官庁幹部は内閣の顔色をうかがうようになった。こうした強権的な組織は、忖度がはびこったり、気に入らないだけで部下を排除したりする歪な力学に支配されるようになる。そして、直前まで全幅の信頼を置いていたはずの中枢幹部に突然全責任を押し付けて事態の収拾を図るような、第三者から見ると極めて不自然で違和感の強い対応に出たりする」

 もう一つは、世間からの目を意識できていないことだ。

「自分たちが品行方正を求められる組織に属する存在だということに無自覚すぎる。最高学府の常務理事が、相手を破壊する反則タックルを指示するとは誰も考えない。省庁の中の省庁たる財務省が疑惑をもたれるような国有地売却を行い、ましてやそれを隠蔽するために公文書を改竄するなんて夢にも思わない」

大学にしても官庁にしても、公的な性格を持つ以上は厳しい批判の目にさらされるのは当たり前。なのに、自分たちだけ別の時代の異次元に生きているような振る舞いを続けている。(編集部・大平誠)

AERA 2018年8月6日号より抜粋