「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産されたことで、「潜伏キリシタン」が注目されているが、その影に「かくれキリシタン」の存在がある。彼らは果たして、どんな人たちなのだろうか? 毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』に掲載された朝日新聞編集委員の中村俊介さんの解説を紹介しよう。

家のおはらいや病気治療の儀式で使われる鞭「オテンペンシャ」 (c)朝日新聞社
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家のおはらいや病気治療の儀式で使われる鞭「オテンペンシャ」 (c)朝日新聞社

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 6月30日、中東のバーレーンで開かれていた世界遺産委員会で、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産になった。この伝統を引き継ぐ「かくれキリシタン」と呼ばれる人々が、長崎県の一部地域に今も暮らしている。江戸時代にキリスト教が禁じられるなか、ひそかに信仰を守り、解禁された明治以降も、それまでの信仰形態を変えなかった。どんな人々なのか。

 16世紀、日本にキリスト教が上陸。信者の急増と勢力拡大を恐れた豊臣秀吉や徳川幕府は、宣教師の追放令や禁教令を出す。信者は弾圧を逃れるため、信仰を隠して生きる道を選んだ。彼らは「潜伏キリシタン」と呼ばれる。

 200年余り後の明治時代に禁教が解かれ、潜伏キリシタンの多くがカトリックに合流するなか、それまでの信仰形態を手放さない集団がいた。これが「かくれ(隠れ、カクレ)キリシタン」だ。過疎化や後継者不足で急激に減っているが、長崎県の生月島には、今も300人ほどいるともいわれる。

 彼らは地域ごとに「オラショ」と呼ばれる祈りを捧げ、独自の取り決めや年中行事を先祖代々伝えてきた。皆川達夫・立教大学名誉教授(中世・ルネサンス音楽史)によると、生月島でうたわれるオラショには、かつてイベリア半島(ヨーロッパ大陸の南西部にある半島で、スペインとポルトガルがある)のひなびた田舎で歌われていた聖歌の面影があるという。平戸市生月町博物館・島の館の中園成生学芸員は「宣教師がいなくなったことで、逆に当初の信仰の形が変化せず、そのまま今日まで伝えられた」と話す。

 だが、それは私たちが抱く今日のキリスト教とかなりイメージが異なる。オラショは呪文化して意味不明な部分も多いし、祈りの場は人目を忍ぶ個人の家々だったから、美しい西洋風の教会などもない。宮崎賢太郎・長崎純心大学客員教授(宗教学)は「先祖崇拝や現世利益を求める呪術的な民俗信仰で、本来のキリスト教の要素はほとんど見当たらない」という。

 ただ、今回の世界遺産に「かくれキリシタン」の文化は直接含まれない。しかし、彼らは遠い潜伏時代の信仰を今も語ってくれている。(解説/朝日新聞編集委員・中村俊介)

【キーワード:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産】
長崎県と熊本県天草地方にある12の資産で構成され、近世のキリスト教弾圧から解禁後の「復活」に至る、潜伏キリシタンの歴史がテーマ。島原・天草一揆の舞台の原城跡、信徒がひそかに信仰を守った離島や本土の集落(跡)、崇拝対象となった聖なる島や山、国内最古の教会建築、大浦天主堂などがある。

※月刊ジュニアエラ 2018年8月号より

ジュニアエラ 2018年 08 月号 [雑誌]

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中村俊介
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