戦後、教師として被爆体験を伝えてきた。いま40代~70代半ばとなった教え子らと面会しながら、気づいたことがある。

「40代くらいになると、原爆について理性と感情が一緒になったような理解をしてくれる。若い人たちはまだ、原爆はいけないという理屈でしか分からない。理解の仕様が違う。理性的にも感情的にも理解して初めて、広い視野を持ち、核兵器の問題を考えられる。そういう人間を育てることが一番重要。そうした人間こそが、被爆者や語り部が少なくなっても、核廃絶の思いを引き継いでくれる」

 そうした人が世界中で増えれば、各国が批准で足踏みして発効できないでいる核兵器禁止条約などへの理解も加速すると期待する。唯一の被爆国なのに、条約に参加すらしていない日本国内の人々の理解を深めるためにも、「我々はもっと頑張らないといけない」と語った。

 93歳となった今、介添えがないと一人では歩けなくなった。早くから左目はほとんど見えなかったが、今は右目の視力も弱っている。10年前には大腸がんで苦しんだ。現在も狭心症や前立腺がんを患う。血圧は上でも90に届かない。

「なかなか認められないが、原爆の影響しか考えられんよ」

 病院通いの毎日で、被爆者団体の会合への出席や被爆体験の語り部の活動などは、なかなかできなくなった。今年の平和記念式典も欠席した。

 それでも脳はしっかりしており、精神的には極めて元気だ。式典後に恒例となった市内のホテルでの首相と被爆者団体との面会には、「これだけはワシが行くけ」と言って出席にこだわった。

「(核兵器禁止条約への不参加方針をめぐり)安倍首相にも政治的立場があるのはわかる。だからと言って最後は譲りゃせん。あなたが間違っている。政治的な立場を乗り越えていけるようなリーダーになってほしいという希望を伝えたい」

 安倍晋三首相との面会を数日後に控えた広島市で、坪井さんは筆者にそう話してくれた。同時に、筆者が口にした「平成最後の広島原爆の日」という言葉に、強い拒絶感を示した。

「『平成最後』という考えはとらない。8月6日は毎年来る。ここも世界共通の西暦で考えるべきだ。私は高齢だから、このまま終わりかなという不安はある。でも諦めない。人間がつくった悪は、人間にしか終わらせられない」(AERA編集部・山本大輔)

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