稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。著書に『寂しい生活』『魂の退社』(いずれも東洋経済新報社)など。『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』(マガジンハウス)も刊行
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。著書に『寂しい生活』『魂の退社』(いずれも東洋経済新報社)など。『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』(マガジンハウス)も刊行
これが最後かもしれないサンドイッチ。寂しすぎますが、移転先でこの幸せを体験する人がいるのだと思い耐える(写真:本人提供)
これが最後かもしれないサンドイッチ。寂しすぎますが、移転先でこの幸せを体験する人がいるのだと思い耐える(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【稲垣さんが「世界一美味しい」というサンドイッチの写真はこちら】

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 最近、予期せぬ大ショックな出来事が二つありました。

 一つは、近所の「世界一美味しいサンドイッチ屋」(稲垣比)が移転してしまったこと。聞いた時は衝撃のあまり何も考えられず。だってここのサンドイッチは本当に特別だったんです。一見、どうということのないジャムやらハムやらチーズやらのフランスパンサンドなんだが、初めて食べた時の衝撃といったら! 先日リヨンに行った時も本場のサンドを食べたが、正直、ここの方が何倍も美味しいと思った。聞けば、シェフが理想のサンドイッチ目指してパンからハムから手作りしているのだとか。地味な努力がこの美味につながっていると思ったらますますファンになり、人に会うときはお土産としてせっせと購入。「美味しいでしょう!」と、我がことのように自慢していました。

 そ、それがなくなってしまう……。

 もう一つは、当コラムでも何度か登場した近所の豆腐屋のご主人が入院したこと。ひざ痛がひどく、手術することになったというのです。店は1週間休み。改めて考えてみれば豆腐屋とは本当に重労働。無事に復活していただけるか気が気ではなく、祈るような気持ちで過ごしたのでした。

 にしても、こういうことになってみて改めて、私はいかに身近な人の日々の頑張りに支えられているかを痛感したのです。で、うかつにもそれが「永遠に続く」と勝手に思っていた。そんなはずはないんだよね。当たり前にあるものなんてない。全てが特別なことだった。

 幸い、豆腐屋のご主人の手術は成功して店は復活し、サンドイッチ屋も、修業していた若い衆が同じ場所で自分の店を開いてくれることになりそうです。ああその「ありがたさ」を忘れずにいなければ!

 豆腐屋のご主人は今もフト見ればひざをさすってるし、若い衆もすぐ同じ味を出せるわけじゃないでしょうが、幸せを受け取ってきた果報者として、好きなお店が一日でも長く営業していただけるよう、精いっぱい応援することを誓った夏でありました。

AERA 2018年8月6日号

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稲垣えみ子

稲垣えみ子

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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