東浩紀 LGBTは「生産性がない」という議員の主張「看過できるものではない」

連載「eyes 東浩紀」

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家族の価値の軽視(※写真はイメージ)
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家族の価値の軽視(※写真はイメージ)

 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 杉田水脈(みお)衆院議員の発言が波紋を呼んでいる。月刊誌に寄せた原稿で、LGBTは子供をつくる可能性がない、すなわち「生産性がない」ので、税金を使った支援は抑制すべきだと主張したのである。

 公平を期して言えば、この主張は原稿の中心ではない。あくまでも副次的なものだ。しかしそれでもとても看過できるものではない。第一に、人間の生産性とは(そういうものがあるとしても)決して生殖可能性だけを意味するのではない。社会の豊かさは人口だけで決まるのではない。子供をつくらないから生産性がないとは暴論である。第二に、そもそも公的な支援の根拠を生産性に求めるのがまちがっている。生産性のない市民は支援すべきでないと言うのであれば、LGBTだけでなく病人や高齢者や障害者もただちに標的になるはずだ。

 問題をさらに大きくしているのが、議員が与党所属で、発言は党幹部に支持されたとSNSに記したことである。もし本当ならば政権の人権感覚も疑われる。真偽の確認を求めたい。

ところで、このような主張が登場する背景には、少数派の権利拡大を多数派の権利縮小と不可分で捉える思考法がある。実際に議員は原稿で、LGBTの支援拡大は子育て支援や不妊治療の補助を圧迫すると示唆している。このような発想は議員個人のものではなく、世界中で一般化している。トランプ現象がその一例である。

 しかしそれはほんとうに正しいのだろうか。弱者への資源配分は強者を弱くする。生産性の高い個人を集めれば競争力があがる。それは経営の論理としては正しく見える。けれども人間は経営だけで生きているのではない。文化や社会の豊かさはそもそも、短期的な経営判断では捉えられない「無能力」な人々の意外な活躍で作られてきたものなのだ。だからこそ人権の概念が必要になる。

 杉田氏に限らず、LGBTに冷淡な保守派は家族の価値を強調することが多い。しかし「生産性がないから」と人々を切り捨てる態度はとても家族的とは言えない。家族の価値を大切にするとは、経営の外部を大切にするということのはずである。

AERA 2018年8月6日号

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東浩紀

東浩紀

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン代表。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

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