森保ジャパンに目指す方向性は? ロシアW杯と対極の“特殊布陣”に不安視も (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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森保ジャパンに目指す方向性は? ロシアW杯と対極の“特殊布陣”に不安視も

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栗原正夫AERA
ポイチという愛称は、名字が「森」、名前が「保一」と勘違いされたことからという (c)朝日新聞社

ポイチという愛称は、名字が「森」、名前が「保一」と勘違いされたことからという (c)朝日新聞社

 サッカー日本代表の次期監督に東京五輪代表監督を務める森保一氏の就任が決まった。五輪とA代表の監督を兼任する。どんな人物なのか。

*  *  *
 日本がワールドカップに初出場した1998年フランス大会以降、日本人の代表監督は2度のW杯(98年、2010年南アフリカ大会)を経験した岡田武史氏(61)、先のロシアW杯で指揮を執った西野朗氏(63)に続き3人目。五輪代表監督との兼任は、00年シドニー五輪と02年日韓W杯を率いたフィリップ・トルシエ氏以来となる。

 7月26日の就任会見で、日本サッカー協会の田嶋幸三会長は「オールジャパンで応援するにふさわしい経歴の持ち主」「(急務とされる世代交代を進めるためにも)五輪とA代表の兼任は、よりスムーズでメリットがある」としたが、重責が課せられた森保一(もりやすはじめ)氏(49)がどんな人物か改めて考えてみたい。

 代表監督就任に至っては、12年から約5年半率いたサンフレッチェ広島で、日本人監督としては最多の3度のJ1優勝という実績がモノを言った。決して資金に恵まれていない広島で毎年、主力選手を他チームに引き抜かれながらも継続して結果を出した手腕は高く評価された。

 現役時代は、その広島などで守備能力の高いMFとして活躍。その名が世間に知られたのは、初代表となった、ハンス・オフト監督が率いて臨んだ92年のキリンカップだった。誠実な人柄同様、プレーに派手さはないが、とにかく動き回る「汗かきタイプ」で、代表に定着すると土壇場でアメリカW杯出場を逃すことになった93年の「ドーハの悲劇」も経験。「ポイチ」の愛称で親しまれ、日本人としては初めて「ボランチ」として広く知られる選手になったともいえる。

 西野監督が率いたロシアW杯にはコーチとして帯同。その人柄について同大会でチーム最多の2ゴールを挙げたMF乾貴士はこう話す。

「いい人ですし、コーチとしてチームをすごく盛り上げてくれた。もちろん、監督になれば、コーチ時代とは立場も変わるので、同じような振る舞いはできないかもしれないですが、オレは好きですよ。“あのベルギー戦”の悔しさを知っている人が、監督をやるのはいいこと」


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