「ウイスキーはガブガブ飲むものではない、という固定観念がウイスキー屋にはありました。だから、社内には強い抵抗がありました。その古臭いイメージを変えることが、まず重要だったんです」

 と、鳥井。さらに、搾ったレモンを入れる案も若手が強く支持した。

「しかし、製造現場は頑として反対でした。ウイスキーにレモンなんて邪道だ、というわけです。古い観念からすれば当然なんですけどね」

これを、「売れなければ意味がない」と若手が押し切った。そして、飲食店への角ハイボールの提案が始まる。07年のことだった。鳥井が説明する。

「ただ炭酸水で割っただけでは、美味(おい)しいハイボールにはなりません。ウイスキーと炭酸水の割合が大事で、理想的な割合を試行錯誤で探していきました。それを飲食店で正しく実行してもらうのも難しいので、専用のサーバーを開発しましたが、高価なので大量に配るわけにはいかず、まずは10店舗を選んで導入してもらいました」

 その10店舗で評判となっていき、それに反応して他の飲食店も興味を示して導入していく。09年ごろから本格的なブームになると、サーバーの供給が間に合わないほど取扱店が増え、簡単にワンプッシュで適量のウイスキーを注げる専用ボトルも開発した。

 飲食店でハイボールの味を知った消費者は、ウイスキーそのものにも関心を持つようになっていく。結果、「角瓶」だけでなく他のウイスキー需要の急拡大にもつながった。

 この間、低迷の時代に仕込みを大きく減らしていたため、原酒不足を招いてしまった。出荷調整で対応してきたが、ついに冒頭の販売休止となっていく。

(文中敬称略)(ジャーナリスト・前屋毅)

AERA 2018年7月16日号