「君のパートの音が小さければいいハーモニーが奏でられない。だから堂々と!」

 それからは思いきって、芸歴では先輩に当たるメンバーに、ぶつかっていけた。

「ウケないと歌丸師匠が言葉をかけてくださったり、逆に無視して笑いに変えたり、さじ加減が絶妙でした」

■古典落語への愛

「噺家にとって、噺は財産」

 と、歌丸さんは他の落語家があまりやらない噺もサゲや現代ではタブーとなる部分に手を入れて、復活させている。

 たとえば『後生鰻』では、最後に赤ん坊を川へ放り込むのだが、現代ではお客さんがひいてしまう。そこで歌丸さんは、自分のおかみさんを川に投げる、ユーモラスなものに変えた。

 2004年から落語芸術協会の会長に就任、尽力した。「若手がやりやすくするのが協会の仕事」と、若手への目配りをかかさなかった。

 上方落語ではあるが、桂文枝さんも「何度も私の独演会を助けていただきました。必ず師匠は約束を違えず来てくださいました。最後の最後まで現役であり続けた師匠。酸素ボンベを後ろに置いてまで落語を演じた噺家は後にも先にも師匠しか知りません」と感謝をのべる。

次のページ