家族はやむなく瑞慶山さんを畳2枚分の座敷牢に閉じ込め、入院もさせた。その後、瑞慶山さんは52歳の時にキリスト教に入信し、心の落ち着きを取り戻したという。

 先の川満さんは厳しく批判する。

「この国は、将来の国をつくる子どもたちを戦争に利用した。そこまでして国体を護持しようとした。本末転倒」

 今、瑞慶山さんの自宅裏の小高い山には、70本近い寒緋桜(かんひざくら)が植えられている。70歳のときからソテツの山だった裏庭に一人で重機を入れて耕し始め、10年かけて更地にした。そこに、死んだ戦友の数だけ桜を植えたのだ。日本一早咲きで知られるこの桜は、毎年2月になると濃いピンクの花を咲かせるという。瑞慶山さんは、こう話した。

「僕が死んでも桜が残る。大東亜戦争の歴史も、沖縄戦の歴史も、少年兵の歴史も残る。あの戦争は歴史に残すべきだと思っています」

 先述した玉里さんは、戦争が終わると20歳の時に一つ年下の同郷の女性と結婚した。13人の子どもに恵まれ、今はひ孫も含め家族は50人近くいる。ほぼ全員が沖縄に住んでいて、月に1回、全員が集まって庭でバーベキューなどをして楽しむのだという。

 戦後、つらいことはありませんでしたか?と尋ねた。

「幸せよ」

 そう笑った後、こう続けた。

「戦場のにおいと、ひもじさ。これだけは、子や孫たちに絶対に味わわせたくない。二度と戦争をしてはいけない」

 73年前、国が少年たちを死に追いやった。その事実が年月とともに色あせる中、元少年兵たちの言葉の重さをかみ締めたい。(編集部・野村昌二)

AERA 7月2日号より抜粋

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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