稲垣えみ子「もっと父と話をしようと思った、そのきっかけは…」 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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稲垣えみ子「もっと父と話をしようと思った、そのきっかけは…」

連載「アフロ画報」

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稲垣えみ子AERA#稲垣えみ子

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。著書に『寂しい生活』『魂の退社』(いずれも東洋経済新報社)など。『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』(マガジンハウス)も刊行

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。著書に『寂しい生活』『魂の退社』(いずれも東洋経済新報社)など。『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』(マガジンハウス)も刊行

首飾りは母のお墓の上にお供えしてきました。長いのは辛抱強い姉の作。短いのが私(写真:本人提供)

首飾りは母のお墓の上にお供えしてきました。長いのは辛抱強い姉の作。短いのが私(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】稲垣さんは母のお墓の上に首飾りをお供えした

*  *  *
 先日、千葉の里山に樹木葬で埋葬した母の墓参りに、父と姉とおいっ子の4人で行ってきました。

 春の花がたくさん咲いていて、中でもシロツメクサが地面いっぱいに広がっているのを見て、とても懐かしく、子どものころ飽きずに延々と作っていた白い花の首飾りを作って遊びました。私はすっかり作り方を忘れていましたが、姉はちゃんと覚えていた。

 根気よく花と茎を一つ一つ編み込んでいると、昔のことが一つ一つ思い出されます。

 幼稚園のころ横浜の団地に住んでいて、近所に土手があって、暗くなるまで花を摘んで遊びました。あの頃は、そんな単純なことに心底夢中になれたんですよね。ツクシもよく摘んだなあ。母に教えてもらいながら姉と私でせっせとハカマを取って、しゅっとスマートになった山盛りのツクシを母が卵とじにしてくれました。

 母が亡くなってから、よく昔のことを思い出すようになった気がします。それとも自分が年を取ったせいなのかな。ずっと思い出すことのなかった母の記憶が、何かのきっかけでスルスルと湧き出してくるのです。その場面はものすごく鮮明なのに、その母がもう実在しないことが不思議で、でもそれはまぎれもない現実で、人の存在って何なのかなあと思ったり。

 もしかすると、人が生きているか死んでいるかは実はそれほど重要なことじゃないのかな。もっと重要な「何か」があるような気がしてくるのです。それが何なのかはまだうまく言えないのですが。

 父はここに来るといつも、「ここは静かだなあ」と何度も言います。子どもの頃に暮らした田舎の空気を思い出しているのかもしれません。

 元気者の父も、母を亡くしてから急に年を取ったような気がします。というか、母の闘病中は父の老いを見ていなかっただけかもしれません。人の一生は本当にあっという間。父も私もいずれこの花の下に埋められますが、それまでの間、今生きていることを大切にしなければ。もっと父と話をしようと思いました。

AERA 6月18日号


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稲垣えみ子

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年、愛知県生まれ。元朝日新聞記者。著書に『魂の退社』(東洋経済新報社)など。電気代月150円生活がもたらした革命を記した魂の新刊『寂しい生活』(同)も刊行

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