●「普通の生活」が役者の基本 Suicaも持っています

 そういう小さなことの積み重ねが、映画のなかの「日常」にリアリティーを加えていく。でも、それは普段からいろいろ見ていないとできない。現場でいきなり思いつくものでないのよ。役者は当たり前の生活をし、当たり前の人たちと付き合い、普通にいることが基本。私は普通に電車に乗るし、Suica(スイカ)も持ってますよ。

 この間、「徹子の部屋」に出たとき、スイカをちょうど持っていたので出したら、(黒柳)徹子さんが「あら、スイカってこういうものなのね」って言うから、「皆さん、知ってますよ」って言ったわ。

 映画「あん」のときも、監督の河瀬(直美)さんがハンセン病の療養所に行くのに「西武新宿線の駅で待ってます」って言うから、「はい、わかりました」って。電車に乗って行って、帰りは(原作者の)ドリアン助川さんと3人で帰って。ドリアンさんが「希林さん、電車に乗って目立ちませんか?」って言うから、「そんなことないわよ」って答えたら、河瀬さんが「希林さんは、人のなか入るときに自分の姿を消しはる」って言ったの。そうなの。そうでなければ人間観察ができないでしょう。

 型通りにいかないのが日常で、「人を見る」ことが演技の大事なアイデアのストックになるわけ。例えば「モリのいる場所」では、妻は縫い物しながら碁を打って。片手間にやっているのに強かったり。夫の服についたカレーをふかせながら電話に出ると、文化勲章を伝える内容だったり。「カレーのしみ」と「文化勲章」。それが日常であり、日常の面白さでもあるのよ。

 入れ歯も実は、若いころはずして歩いているおばあさんを街で見かけて、いつかやりたいと思っていた。「万引き家族」で念願かなったりなの。まさか「ヌードより恥ずかしい姿」を全世界にさらすことになるとは思っていなかったから。世界広しといえど、こんなことする女優、なかなかいないと思うわ(笑)。

(構成/編集部・石田かおる)

AERA 6月18日号