この間、朝日新聞の取材でも話したんだけれど、少し前に中村敦夫さんと会ったときに「木枯し紋次郎」に私が宿の飯盛り女の役でワンシーン出ていたときの話になった。あくびしながら飯を盛って出して、「面白い演技をする人だな」と中村さんは思ったんですって。それを聞いて「あら、いいじゃない。ギャラをもらう分、私、ちゃんとやってきてるじゃない」って思った。天皇陛下にお出しするんじゃないんだから。三度笠かぶった汚い男に出すわけでしょ。あくびくらい出るわよね。彼女にしてみれば日々繰り返される日常のひとコマにすぎないんだし。

●大好きだったチョイ役ギャラが一緒なのよ

 で、チョイ役がまた大好きだったの。ギャラが一緒なのよ。たくさん出ても、チョイ役でも。チョイ役をたくさんもらったほうが家のローンを返すのに効率がいいわけ。顔が売れたいわけでも、名前が売れたいわけでもないからなんの躊躇もなかった。(悠木千帆の)名前なんか売っちゃうくらいだから。

 森繁(久彌)さんにも鍛えられたわね。現場で掛け合いみたいにして、どんどん作って、実際、そういう作品がヒットした。渥美(清)さんも面白かったぁ。なまじ出来のいい台本よりも、どうしようもない台本のほうが、「私はこう言うから、あなたこう言って」てな具合で作って、かえって面白くなったりもするの。

 そういうのをもっとやればいいと思うのよ。例えば「モリのいる場所」で、守一の家の前にマンションを建てているオーナーが、むりやり家に上がりこむシーンがある。主を待っている間、オーナーがタバコを吸いだすんだけれど、妻の秀子は不愉快なもんだから、自分のすぐ横のたんすの上にある灰皿を渡さず、「豚(の蚊取り線香の器)」があるでしょって突き放す。

 こういうセリフも事前の打ち合わせなしに、現場ですっと言って、相手が「豚?」って本当に探すほうがいいの。人間が生きてくる。人間が起きてくるのよ。最近は私も立派になって、いきなり言うなんて失礼なことはしなくなったけれども。

 なんでもない日常を切り取りながら、人間を映し出すというのは本当に難しいことなの。私は台所仕事の場面も多いけど、普段は自分のものしか作らないから大してしてない。でもおいしく見せたいというのはあるのよね。

「モリのいる場所」でカレーうどんを作る場面では、ネギをわりかし荒っぽく扱ってシャシャシャと切った。是枝さんの「歩いても 歩いても」では茹でた枝豆に塩を振るシーンがあって、最初、食卓塩が用意されていた。「すみませんけど、ちょっとした容れものに普通の粗塩を入れてくれません?」って美術さんに頼んで、塩をひゅっと取って、しゃしゃってまいたの。そのほうがおいしそうに見えるでしょう?

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