「万引き家族」で思い出すことといったらとにかく寒かった。夏のシーンは海のロケ以外は12月、1月の真冬に撮影して。服は夏のアッパッパーでしょう。下に穿いたもも引きが何かの拍子に見えちゃうと、是枝さんが優しい声で「もう一回、いこうか」って。

 汚くて、うすら寒くて。人相まで悪くなりそうな現場だった。そういう作品ではあるんだけれども。とにかく早く帰りたかった。

 もう一本公開中の山崎努さんと共演した「モリのいる場所」では、監督の沖田(修一)さんに「あなた生き残るわよぉ」って言ったの。えらそうだけど。役者の芝居をよく見ているの。

 映画のなかで短い時間だけれど、着物を着て。なくても成立したんだけれど、着て良かったわ。私たちが着物の着られる最後の世代だなと思ったわね。映画監督でも女の人の着物の見極めがつく人はもうほとんどいないでしょう。

●着物は夫・内田の母の形見 服は白洲正子さんの刺し子

 着物は着方ひとつで、その人が素人なのか玄人なのか、どういう状況なのかがわかる。同じ寸法で作ってあっても、帯の位置や襟の抜き方とかによって変わるのよ。当時の文化人の妻だったら、来客があるときに着物に着替えただろうなと思って。襟はあまり抜かず、わりかし素人っぽく着た。

 着物は自前。スチール撮影で着た縞のは、(夫の)内田(裕也)の母の形見なの。普段着の藍のワンピースは、白洲(正子)さんの店にあった刺し子の半纏から作った。白洲さんが「こうげい」を閉店したとき人づてにいただいて、たんすの肥やしになっていたからもったいないと思って。

 でもね、是枝さんの映画では(私の服は)いつもアッパッパーなの。紫がかったブルーみたいな曖昧な色の。いやなのよぉ。衣装の黒澤和子さんがいつも申し訳なさそうに持ってくる。アッパッパーって、(昭和のころ)着物を着ていた女性たちが楽だからって着だした、洋服ともいえないものでしょう。服に文化がないの。好きでない。

 人間をいかにして自分の身体を通して表現するか。それが役者の仕事なんだけれど、「万引き家族」がパルムドールを受賞したのは、個々の人間がどうやってそこまで生きてきたかを、丹念に見ながら積み重ねていった結果なんじゃないかと思う。どの役もみんな生きているでしょう?

 そのへんは、私はテレビのチョイ役で鍛えられたわね。脇で、ちょっと通り過ぎていく役なんて、一瞬でもって人生を出さないといけない。でも台本に、その前後は書かれていないから自分で全部考えないといけないのよ。

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