──戦後の日本で「いのち」の有り様がここまで揺らいでいる時代はないように思えます。

 自分の命を信用していないから、他人の命が信用できないんだと思います。それは大人の責任ですね。政治も芸術も、教育もすべて次の世代を担う「若者」のために役立つものでないといけない。私のような年寄りは若者の役に立つことをしないといけないのです。若い人は物事を知らないなんて、否定する大人がいますけど、少々、物事を知らなくても、そこにいるだけで可愛いじゃない。ただね、若い彼らが小説を読まなくなったのは残念でなりません。だからこそ、若者が自分の生きる意味を探せなくなったのではないかしら。古典文学にしても、現代的な作品でも、名作と呼ばれるものは読んで損はないですよ。だって、やはり命を削って誰かが書いているんだもの。私もまだまだ書きたいことがたくさんありますよ。体力的に長編は無理かもしれないけど。96年生きてきても、まだ体験したことないことだってあるじゃない。例えば、牢屋に入るとか(笑)。

──今の世の中には「何をやっても強いものが勝つんでしょ」という、諦めにも似た重い空気が覆っているようにも思えます。

 誰も未来のことを考えていないんです。高い理想、希望をもたない。『苦海浄土 わが水俣病』などの著作で知られ、先日、お亡くなりになった作家の石牟礼道子さんは、これまで人間が長年かけてつくりあげてきた文明は、結局、金儲けのための文明でしかなかった。それをふり捨てて、もっと人間らしい、人間の魂の絆を大切にする論理を立て直さなければ、今の文明の勢いを止めることができないと語っておられます。お金のため、名声のために生きて、仮にそれを手に入れたとしても、大した感慨はないものです。本当の幸せのために生きるとはどういうことか。私にとっては何のために小説を書くかということなんです。いつの時代も政治家にまかせられない何かがあるから、革命家が生まれるんでしょ。私もそうした人を多く書いてきました。どんなひどい殺され方をしたとしても、私のように後世の人がそこに光をあてるじゃない。そうして彼らは未来にもう一度、蘇るのです。まあ、そこまでするのは難しくても、自分に授かった命を燃やして、精一杯生きることが大切ではないでしょうか。

(構成/ノンフィクション作家・中原一歩)

AERA 2018年5月28日号