「オランダで小学校が義務教育化されたのは1806年。裁縫が女子の科目として採用された1857年以前のサンプラーは、主に良家の子女が通う私立学校で縫われていたものでしょう。一方で貧しい家の子のために孤児院が運営する学校もあり、そこでもサンプラーは縫われていました」(同)

 貧しい家の子のサンプラーは、卒業後、彼女たちが家政婦やお針子の職につくとき、ポートフォリオの役割も果たしたそうだ。

 修道院の工芸もまた、現代では失われつつある手仕事だ。修道院では昔から現世と隔絶した瞑想生活を送るために、薬用酒やワイン、バターなどをつくってきた。今では一般的になったカヌレやマドレーヌといったお菓子も女子修道院が起源だ。

「18世紀以降、インドへ渡った修道女たちは修道院の経営のため、そして市井の女性たちのたつきにもなるよう、ヨーロッパの刺繍技法を伝えました。現在インドでは、修道院も修道女の数も減っているようですが、ラーンチーやゴアなどでは今も刺繍やレースが作られています」(同)

 展示されていたサンプラーは、金沢さんが海外を回って探してきたもの。そして修道院の工芸品は、金沢さんの母親がインドで暮らしていた頃に集めたものだ。母と娘が選んだそれぞれの工芸は、つくられた時代も場所も違うのに、どこか似た、静謐な美しさをたたえていた。(ライター・矢内裕子)

AERA  2018年5月21日号