日本を代表するベンチャー投資家として知られる松山は、あるイベントで出会った山内についてツイッター上で「礼儀正しい」「(自分が経営する)シェアオフィスを自由に使っていい」と絶賛した。

 山内の名はまたたく間に業界に知れわたった。通い始めたシェアオフィスでも先輩起業家にかわいがられ、数多くの企業に出入りした。エンジニアとして働いたり、リサーチ会社で先端の金融技術を研究したりと、経験を積んだ。

 そのなかで、金融とITを融合させた「フィンテック」の可能性を確信し、15歳でワンファイナンシャルの前身となる「ウォルト」を創業。ビットコインをプリペイドカードへ交換できるサービスを始めたが、事業は伸び悩み、1年弱で撤退した。

「その頃から仮想通貨の波は絶対に来ると思ったけど……タイミングが早すぎました(笑)」

 当時は何でも1人でやろうとしたことも“敗因”の一つだったと分析する。

 それから2年。ワンファイナンシャルは、社員も5人に増えた。もちろん、全員年上だ。12歳年上の最高技術責任者(CTO)は、有名企業で働いていたところに何度もヘッドハンティングを試み、断られ続けた。だが「やりたいことは絶対やる。会いたい人には絶対会う」という山内の執念が実り、14カ月後に入社を決意させた。

 山内は会社の「顔」として自身の親世代の相手とも商談を行い、資金調達もする。前出の松山も、最初の出資者となった。こうして、山内はどんどん年長者を巻き込んで事業を軌道に乗せてきた。

 年上を引きつけ、巻き込む秘訣(ひけつ)は? そう聞くと、照れ笑いで答えた。

「僕が次男で、親戚の中で一番年下だったから、人に甘えるのが得意になったのかもしれません」

 社員や親しくなった先輩ら身内との会話は「タメ語」になるというが、外部の人への言葉遣いはあくまでも丁寧で柔らかい。ビジネスの場にもTシャツにチノパンといったカジュアルな格好で臨む一方、かつてIT起業家という響きがイメージさせた「周囲との摩擦を恐れない」という印象は、全く感じさせない。

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