歩く速度。ガラス戸を叩く強さ。その回数。長谷川との台詞の掛け合いも、テイクごとにイントネーションや呼吸の間合いを微妙に調整する。

「(玄関で立ち話をするときは)もう少し体を外側に開いたほうがいいですか?」

「ここの台詞はもう少し早口のほうが(感情が)伝わりやすいですかね?」

 阪本と細かく相談しながら、稲垣は少しずつ、紘という人格に生命を吹き込んでいく。

 撮影が終盤に差し掛かる頃にはすっかり、ワインよりもスコップが似合う「山の男」。

 口元とあごに蓄えたひげも、

「正解だった。いい渋みが出てるよね」

 と阪本。撮影前に稲垣が生やしていたのを見て、そのまま役に生かそうと決めたのだという。

「昔から阪本監督のファンで過去の作品も欠かさず観ていた」

 という稲垣だけに、今回の役にかける思いには、並々ならぬものがある。

 炭焼き職人という特殊な職業を演じるため、撮影開始前にも監督と撮影現場となる炭焼き小屋を訪ね、炭焼き工程の一部を体験したという。

 撮影に協力したマルモ製炭所の代表、森前栄一(49)は、

「好奇心の強い方だなと思いました」

 とそのときの様子を語る。

「炭の作り方について、いろいろ質問されました。焼き上がった炭を窯から出す作業も練習しました。『えぶり』という棒を使って掻き出すんですが、金属製で4メートル近くもあるので、すごく重いんです。それでも稲垣さんは『難しいなあ』と汗をかきながら挑戦していました」

 稲垣はチェーンソーの使い方も学び、炭の材料となる木を切り出すために、森前とともに山にも出かけた。

「ウバメガシという木なんですが、これが山の急斜面にしか生えないんです。切るときは、さすがに少し、緊張されているようでした」(森前)

 そのときの画像は、稲垣の2月7日のツイッターにアップされている。

 職人を演じる稲垣の「素」もまた職人気質。この映画の見どころの一つでもある。

 撮影2日目は、焼き上がった炭を紘が炭焼き小屋で選別するシーンからスタート。薄暗い炭焼き小屋の地面には真っ白な灰が積もっていて、歩くたびにそれが舞い上がる。燻(いぶ)された木の酸味のあるにおいも、鼻の奥にツンとくる。

 だが稲垣は、汚れやにおいを気にすることなく、灰の中に手を入れて次々に炭を段ボール箱に放り投げていく。怒鳴り声を上げていた前日のシーンとは打って変わって、感情の起伏はまったくと言っていいほど見られない。ただ粛々と、目の前の作業に従事する「労働者の日常」が、そこにはあった。

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