「彼女のいた地区はクルド人に守られていましたが、一度だけスタジオを3人のISメンバーに襲撃されたことがあったそうです。クルド人の若者たちが彼らを殺害した、と彼女は言っていました」(ドスキー監督)

 監督自身も撮影中、トルコ人兵士に拘束され暴行を受けた。

 15年にコバニは解放され、映画は明るい兆しを見せ始める。しかし、一方でがれきから掘り起こされる遺体の生々しさが目に焼き付く。撮影は16年に終了したが、監督はその後もディロバンと連絡を取り続けている。

「彼女は元気で、前から夢見ていた教師の仕事を得ました。しかし、シリアの状況はまだ何も変わっていません。ディロバンも『街の60%が放置されたままで、再建に必要なセメントや鉄が手に入らない状況だ』と言っていました」(同)

 シリアの悲劇は11年に始まったわけではない。シリア人のアルフォーズ・タンジュール監督による「カーキ色の記憶」は、叙情的な映像が美しい異色のドキュメンタリーだ。

 1980年代にアサド体制に反対し、国を追われた作家や画家など4人に焦点を当て、監督自身の経験を振り返る。静かな語りが「問題の根っこに何があるのか」を教えてくれる。
(ライター・中村千晶)

AERA 2018年5月14日号より抜粋