「ヨーロッパも決して安心できる場所ではありませんでした。特にドイツの状況は悪く、私はすでにドイツを出ています」

 RBSSのメンバーはもともとジャーナリストだったわけではない。ハッサンはロースクールの学生だった11年、アラブの春で巻き起こった反政府主義を弾圧したアサド政権に抵抗し、立ち上がった。

「日々、恐怖を感じるし『もう、こんなことはやめたほうがいいのでは』と思うこともある。でもシリアの自由は達成されていない。ここまできてやめていいのか、という思いが勝つのです」

 17年10月に米軍・有志連合の援護を受けたSDF(クルド人主導のシリア民主軍)がラッカを解放。だがまだまだ彼らが帰国できる状況にはない。現在も国外を拠点にシリア国内にいるメンバーからの映像と情報をSNSにアップし続けている。

「街中での戦闘は収まりましたが、現在ラッカでは暗殺が横行しています。SDFとISとの話し合いの仲介役だった人物が暗殺され、先日はラッカ再建委員会の委員長が暗殺された。また、いつ戦闘が始まるかわからない状況です」

 暴力と破壊に満ちた世界に、復興の兆しと希望を見せてくれるのが「ラジオ・コバニ」だ。

 舞台はラッカよりさらに北、トルコとの国境に近いクルド人の街・コバニ。14年にISの占領下にあったこの街でラジオ局を立ち上げた女子大生ディロバンの3年間の活動を追う。イラク出身でオランダ在住のラベー・ドスキー監督は偶然ラジオを耳にし、彼女に“一目ぼれ”して映画を撮り始めたと話す。

「14年の夏に、ISが3千人以上の女性と子どもを拉致し、性奴隷として売る事件がありました。そのことを知ったディロバンやコバニの女性たちは『自分たちはどうする? 逃げるのか、闘うのか?』と迫られた。そして彼女たちは『闘う』ことを選んだのです。私はそんな彼女たちに光を当てたかった」

 自らの武器に“ラジオ”を選んだディロバンは、がれきの建物の地下に簡易スタジオを作り、放送を始める。市民をはげます音楽を流し、家を失った人々の苦境をインタビューして伝える。その姿は実にたくましく美しいが、やはり危険もあった。

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