稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年、愛知県生まれ。元朝日新聞記者。著書に『魂の退社』(東洋経済新報社)など。電気代月150円生活がもたらした革命を記した魂の新刊『寂しい生活』(同)も刊行
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年、愛知県生まれ。元朝日新聞記者。著書に『魂の退社』(東洋経済新報社)など。電気代月150円生活がもたらした革命を記した魂の新刊『寂しい生活』(同)も刊行
自炊棟の「貸間」。3畳一間ですが風呂もトイレも台所も共用なので超余裕の広さでした(写真:本人提供)
自炊棟の「貸間」。3畳一間ですが風呂もトイレも台所も共用なので超余裕の広さでした(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】稲垣さんが3泊した自炊棟の「貸間」がこちら

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 別府温泉には3泊したのですが……ってサラッと書きましたが、3泊ですよ! すごくないですか? 温泉に長逗留(ながとうりゅう)なんて時間もお金も有り余っているセレブリティーにしかできない行状です。それがまさかの現実に!

 いやいや私も出世したもんだ……と言いたいところですが、これにはウラがありまして、私が泊まったのは湯治宿。それも、昔ながらの「自炊棟」があるタイプ。湯治とは温泉地に滞在してのんびりお湯につかりながら体の不調を治すことですが、昔はこんなゼータクをフツーの庶民がフツーにやっていた。

 それを可能にしたのがこの「自炊」システムです。宿には共用の台所があり、食材さえ持ち込めば自由に料理ができるのです。

 いやーこれ、最高!

 自炊と言っても旅先ですから凝った料理なんかできない。ご飯を炊き、簡素なおかず一品を作る程度ですが、それしかできないと思えば罪悪感も物足りなさもありません。むしろキャンプのごとき達成感でいっぱいです。

 それに、若い時ならいざ知らず、この年になると温泉旅館のごちそうは案外キツイのよ。健康になりたくて来たはずが逆に胃もたれを起こしかねないのが加齢の容赦ない現実です。それを考えると、自炊棟で湯治って、安い、楽しい、健康的と、すべてをかなえる理想的な旅。

 ところが、かつては銀座のごときにぎわいを見せたという湯治宿街も今や誠に閑散としています。静かで味わい深くはあるのですが、この素晴らしい文化が寂れゆくのみなのはあまりにもったいなさすぎる。とりわけ人生100年と言われる時代、少ないお金で楽しめるものの存在は、宝石のごとく貴重なものじゃないでしょうか。

 ちなみに自炊棟の良さはこれだけにとどまりません。同じ台所で料理していると、ついつい他人の鍋の中をのぞきこみ、そこから会話が始まって最後は必ずおすそ分けをいただくのでした。孤独な独身者には奇跡のような3日間でありました。

AERA 2018年5月14日号

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稲垣えみ子

稲垣えみ子

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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