87年まで連続出場を続けて、現役を終えた。が、晩年は代打出場が増えていた。その87年にルー・ゲーリッグが持つ世界記録を抜いた。直前、敵地で、「お前は自分の記録のために野球をやってるのか」という心ないヤジも浴びた。「こんな状態で野球を続けていいのか」。衣笠さんは自問自答を繰り返していたという。

 96年だった。メジャーリーグのカル・リプケンが衣笠さんの持つ2215試合という連続試合出場記録を抜いた。そのお祝いに渡米する直前にホテルのバーでご一緒する機会があった。その時の衣笠さんの何とも言えない笑顔を覚えている。

「俺は、87年、記録にこだわっていなかった。でも、周囲の状況がやめることを許してくれる状況じゃなかったんだよ。今回、やっとリプケンにバトンを渡せた。心底ほっとした」。ある面、彼にしか分からない孤高ゆえのつらさがあったのだ。訃報(ふほう)に接したリプケンは「彼と育んだ友情にはかけがえのない価値がある」とコメントした。

 引退してからは、朝日新聞社の嘱託として、筆を振るってくださった。普通、野球評論家の原稿は聞き書きをするのだが、衣笠さんは、自分でパソコンを打って、原稿を送ってくださった。指定させていただいた行数よりいつも長いのだが、その長さに野球に対する愛情があふれていた。若い記者を集めての食事会にも気さくに参加してくださり、つたない質問にも気軽に答えてくださった。孤高にありながら、常に人を思いやる人。

 ゆっくりおやすみください。(元朝日新聞編集委員・西村欣也)

AERA 2018年5月14日号