そのうちの一人がBさんだ。パソコンを教えてもらいたい、という依頼で、私が行くことになった。私はパソコンが特に得意ではなかったが、単に話を聞いてもらいたいという依頼者だろう、と経営者は言った。実際行ってみると、彼はパソコンを前に置いたまま、気のない姿勢で私の説明を聞いていた。経営者の言った通り、雑談の話し相手になることが仕事の中心になった。

 Bさんは小中学校と、学習障害児だった。漢字もあまり読めず、繰り上がり繰り下がりの足し算引き算にも困難をきたした。高校は養護学校を卒業していた。その後、Aさんと同じように調理師専門学校へ入り、調理師の免許を取得した。しかし、彼のその後の人生は悲惨なものだった。20歳前後からの20年足らずの間に飲食店を約40回もクビになっていた。つまり半年に一度はクビになっていた勘定だ。最後にクビになった店に、クリーニングした店の制服と、店から貸与されていた包丁を返しに行くのが怖くてできないと彼は私に訴え、私は仕方なくそれを返しに店まで出向くことになった。

 そんな彼も、健常者の女性と結婚していたことがあった。

 半ば押しかけ結婚で、子どもも2人もうけた。女性が一人暮らし用に借りた部屋にそのまま住み続けていたから、2Kの間取りに家族4人がひしめき合っていたらしい。

●40歳以上の当事者に居場所や語り合える場を

 しかし蜜月期間は長く続かず、Bさんが妻の留守中にデリヘル嬢を呼んだのがばれ、それまで失業を繰り返す夫に耐え忍んできた妻も堪忍袋の緒が切れ、離婚してBさんを放り出したのだ。

 それでもBさんの勤労意欲は細々と持続し、最後の飲食店をクビになってからは、トラックの運転手をしていたこともある。だが、結果的には事故を起こし、相手の鼻の骨を折るけがを負わせ、解雇されている。

 短期間、牧場に勤めたこともあった。でもそこも、

「牛が草を吐くのが嫌だ」

 と言って辞めてしまった。

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