本当は「世間」から認められたい(※写真はイメージ)
本当は「世間」から認められたい(※写真はイメージ)

 今年度から国は、初めて40歳以上のひきこもりの実態調査に乗り出す。高齢化していくひきこもりの人たちは何を思うのか。自らも「学習障害」を抱える小説家の萱野葵氏が報告する。

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 私にはひきこもりの知人が何人かいる。私自身は1月22日号の本欄で書いたように、学習障害がある。私の場合、座学の能力(言語性知能)は高いが、現場仕事の能力(動作性知能)となるとポンコツで全く使い物にならないというタイプの偏った知能を持つ学習障害だった。仕事がうまくいかなくて、ひきこもりのようになってしまった時期もある。類は友を呼ぶというのか、私の周囲にはなぜかひきこもりが集まってくるような感じだ。

 今から5年以上さかのぼることになるだろうか。私は近所の飲食店でアルバイトを始めた。

 学習障害を抱える私は、例によって、仕事の覚えが非常に悪かった。

 そこで知り合った当時30代後半のAさんは、中学卒業後、調理師専門学校に1年ほど通い、料理店で2年近く住み込みで働いただけあって、私よりはるかに仕事ができた。

 Aさんはとにかく食材をさばくのがうまかった。私と彼はその飲食店の中でも特に気が合い、いつも仕事が終わると一緒に帰っていた。家も近所だったから、私たちは彼のマンションのエントランスにしゃがみ込んで深夜まで語り合った。彼は母親と妹と、そのマンションに住んでいた。父親はもう亡くなったと言っていた。

 彼に知的障害があると知ったのは、彼が中学時代、児童相談所で知能検査を受け、「療育手帳」を渡された、と聞いたからだった。私は非常に驚いた。食材の扱い方があれだけうまいのだから、障害があるとは思いもしなかったのである。

 もっとも、彼は小学校も中学校も普通学級で過ごしている。

 ただ、簡単な道を覚えられないところや、あるいはどこかで彼に待っていてもらう時に、「ちょっとここで待ってて、すぐ戻ってくるから」と言って私が別の場所に行き、Aさんがいたはずの場所に戻るともういなくて、後で本人を責めても「他に用があったから」とへらへら笑っているところなどに、違和感を持ったことはあった。

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