葛飾北斎「冨嶽三十六景 深川万年橋下」/天保元~天保3(1830~32)年頃の作品。洪水対策のため高くされた橋脚の間から富士山が見える(写真:すみだ北斎美術館提供)
葛飾北斎「冨嶽三十六景 深川万年橋下」/天保元~天保3(1830~32)年頃の作品。洪水対策のため高くされた橋脚の間から富士山が見える(写真:すみだ北斎美術館提供)

 海外を中心に、浮世絵師・葛飾北斎のブームが巻き起こっている。イギリス発のドキュメンタリー映画も公開された。そんな北斎の自伝からは、北斎の絵師としての向上心を垣間見ることができる。

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 漫画家のしりあがり寿さん(60)は今年、北斎を新たな視点で楽しむ試みをした。「冨嶽三十六景」に、ちょっとした「いたずら」を施したのだ。

「数点のつもりで始めたら楽しくなっちゃって、結局48枚描きました(笑)。やってみてわかったんですけど、北斎の絵には、“時間の流れから切り取った一瞬”みたいなのがあって、その何かをずらすと“場違い”なパロディーにしやすい」

 主人公の放った矢が岩を砕く瞬間、一陣の風が道行く人々の笠を舞いあげる瞬間など、北斎が切り取るワンシーンのドラマチックさに、まさに漫画の原点を感じるという。

「北斎の絵は『印刷されるための絵』なんです。白と黒の線ですべてを表現し、量産のための簡略化、誰にでも一目でパッと伝わるデフォルメや記号化──すべて漫画に必要な条件を兼ね備えているんです」

 人のさまざまな表情やポーズなどを集めた絵手本『北斎漫画』では、関連した絵の最後にオチをつけるなど、4コマ漫画の原型も見て取れる。なにより北斎には「漫画の精神」がある、としりあがりさんは言う。

「それは物事を“おもしろがってやろう”とする精神です。北斎は権威や威厳とは無縁で、80歳を過ぎても貧乏長屋で、こたつ布団に潜って、背中を丸めて絵を描いていた。そんな彼の絵は、幽霊など存在しないものも含めて、庶民や森羅万象に広く開かれている。この自由さこそ、漫画に必要なものだと思うんです」

 なにより北斎は市民の世界を描き、一般の人々に愛された。

「世界的に芸術が支配階級や富裕層中心のものだったことを考えると、あの時代の江戸の市民文化の豊かさ、そのすごさを改めて感じますね」(しりあがりさん)

 ドキュメンタリー映画「大英博物館プレゼンツ 北斎」のなかで大英博物館「北斎」展のキュレーター、ティム・クラーク氏は、北斎が晩年になってなおも成長を続けようとした点に注目する。彼は「冨嶽三十六景」の裏に当時70代半ばだった北斎が記した自伝をひもとく。

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