哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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先日、「なぜアメリカにマルクス主義は根づかなかったのか?」という演題で講演をした。「起きてもよいはずなのに起きなかったこと」について「なぜそれは起きなかったのか?」を問うのは刺激的な思考訓練である。シャーロック・ホームズは「白銀号事件」で「事件の晩に起きてもよいのに起きなかったこと」を手がかりに真相を明らかにした。不審に思う人がいると思うが、マルクス主義がアメリカに深く根づくというのは「起きてもよかったこと」である。まずその話から。
1848年の市民革命が各国で挫折した後、ヨーロッパの社会主義者や自由主義者たちは祖国を去って大挙してアメリカに向かった。「48年世代」と呼ばれたこの集団にとって、ロンドンのマルクスは「何かあったら、とりあえず意見を聞きたい人」の筆頭だった。51年にルイ・ボナパルトのクーデターが起きた時「フランスでは一体何が起きたのか?」を知るために、ニューヨークのメディアがまずマルクスに問い合わせたのは妥当な人選だったと思う。マルクスが求めに応じて書いた記事はのちに『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』という書物になり、以後150年以上にわたって読み継がれている。
いま世界で起きている出来事の解説者としてマルクスは当時望みうる最高のジャーナリストだった。マルクスは1852年から10年間ほぼ毎週ニューヨークの英字紙に世界の出来事を分析する記事を送った。彼に匹敵するだけの分析力と文筆の才を備えた論客が当時のアメリカメディアに何人もいたと私は思わない。その時期マルクスはアメリカの世論に直接影響を与えていたのである。
「48年世代」は南北戦争ではリンカーンを支持して奴隷解放の大義のために戦った。だから、リンカーンの大統領再選の時、第一インターナショナルを代表してマルクスが祝電を送ったことには何の不思議もない。
アメリカの草の根民主主義とマルクス主義の融合は「起きてもよかったこと」である。その前提に立ってはじめて「では、なぜ起きなかったのか?」という問いは切実なものとしてせり上がってくるのだが、論ずるだけの紙数がない。続きは次回。
※AERA 2018年4月16日号