そして、楽しむべき「孤独」とは、「孤立」ではなく、人の輪に加わりつつ、自身の個性や独立心を失わないことです。先日他界した西部邁さんが影響を受けたスペインの思想家オルテガ・イ・ガセットに、「Together & Alone」という言葉があります。「和して同ぜず」という意味です。ボランティアや句会、民謡、多くの人の輪に加わり楽しめばいい。まずは人に和して、あとは「一億一心」ではなく「一億一億心」でいいんです。

 下山の人生は、究める人生でもあります。たとえば、健康。自分の身体感覚を育て、楽しみながら養生してはどうでしょう。体が発する声や感覚(ぼくは身体語と呼んでいます)に耳を澄まし、身体感覚を磨き上げる。風呂のお湯の温度、時間の感覚、自分の体重、そうした身の回りのことを察知する能力を究めるのは、お金もかかりませんし、おもしろいものです。若い人たちには体力で劣っても、知力では劣っていないという自信も生まれます。

 下山の楽しみは無限にあります。いざ、その世界に入ってみると、寂しいどころか、とてもおもしろいものです。音楽でも、聴いて楽しむだけではなく、歌や演奏、作詞に参加してみては。

 生まれた瞬間から人は老いていきます。30、40で肉体的なピークを迎え、50歳を過ぎて下り坂に入る。ところが、人は下山する過程に、間違った認識を持っています。登りには積極的でも、下山には寂しい事後処理のような錯覚があるようです。下山こそ、登山のハーベストタイムであり、人生のハーベストタイムです。

(構成/編集部・澤志保)

AERA 2018年4月2日号