そう話すベイム氏は、92年にベトナムでの支援活動を始めてから、頻繁に同国を訪れている。自ら集めた寄付金を使い、現地での診療所建設や学校支援、村民への少額無担保融資などをしてきた。年次行事のソンミ虐殺追悼式典への出席に米政府関係者は否定的だが、元米兵としての贖罪(しょくざい)を胸に、個人の立場でたびたび出席してきた。

 そんなベイム氏に対する米国人の視線は冷たい。家族や親族でさえ、「お前は共産主義者を助けるのか」などと怒りをあらわにした。同じくベトナム帰還兵で、前線での戦闘経験がある4歳年下の弟からは「国への反逆行為だ。米国から出ていけ」と激しく責められた。前線に送られた複数の兵士から戦闘の様子を聞かされていたベイム氏は、弟の反応について、仕方がないことだと思っている。

「戦闘は殺し合いだ。他の人間を殺すのと同時に、自分の友人や自分自身も殺される。相手を殺すように訓練され続けると、何が正義で何が悪だか分からなくなる。人間性の抹殺だ。戦場から戻った後は抜け殻状態になる。そんな彼らに戦争が悪だと認められるわけがない」

 実はベイム氏自身も「悪」を認識するようになるとは思っていなかった。虐待を受けてきた父親からの愛情を取り戻したいという一心でベトナム戦争に志願したベイム氏に、「戦争が悪という意識はもともと皆無だった」。帰還後も弾薬工場で働こうとしたり、従軍経験者への政府による支給金を使って技術専門学校に行ったりした。

 ところが反戦運動が激しくなる中、告発や報道で明かされる米軍の非人道的行為を耳にするにつれ、「間違ったことを正しいと教えられて罪を犯したと思うようになった。だまされていたと気がついたら、怒りでいっぱいになった」。そして78年、政府の支給金を「血塗られたカネ」と断り、軍服も勲章もゴミ箱に捨てた。ウィスコンシン州の山の中で、電気も水道もない小屋にこもり、社会との関係を断ち切る生活を7年間送る。

「考える時間だけは、たくさんあった。考えることで、少しずつ苦しみから癒やされていった。特別な出来事があったわけではない。理論的に結論を導いたわけでもない。なぜかベトナムで支援活動をしたくなった。心の中でベトナムがずっと待っていたとしか言いようがないほど、突然の発意だった」

(編集部・山本大輔)

AERA 2018年4月2日号より抜粋