月面探査レースのチームHAKUTO(ハクト)代表、袴田武史さん。1979年生まれ。月面での宇宙開発を永続的な事業にすることを目標とする (c)朝日新聞社
月面探査レースのチームHAKUTO(ハクト)代表、袴田武史さん。1979年生まれ。月面での宇宙開発を永続的な事業にすることを目標とする (c)朝日新聞社
2017年8月、鳥取砂丘で通信試験をした月面探査車「SORATO(ソラト)」 (c)朝日新聞社
2017年8月、鳥取砂丘で通信試験をした月面探査車「SORATO(ソラト)」 (c)朝日新聞社
HAKUTOの歩み(AERA 2018年4月2日号より)
HAKUTOの歩み(AERA 2018年4月2日号より)
Google Lunar XPRIZEのミッション(AERA 2018年4月2日号より)
Google Lunar XPRIZEのミッション(AERA 2018年4月2日号より)

 3月末が期限の人類初の月面探査レース(Google Lunar XPRIZE)は勝者がないまま幕を閉じた。日本から唯一参加していたチームHAKUTO(ハクト)もレース断念に無念さをにじませる。だが、チームは「負けて勝った」かのように勢いづいている。なぜだろうか。

【写真】HAKUTOが開発を手がけた月面探査車「SORATO」

 民間の力で月まで行き、月面探査車(ローバー)を走らせ、月からの高解像度の映像を地球に送る。これが月面探査レースの勝者の条件で、このミッションを最初に達成したチームには2千万ドル(約21億円)の賞金が贈られる。当初名乗りを上げた31チームは、2007年からの10年間で多くが脱落。最終的に米、イスラエル、インド、日本と多国籍の5チームがしのぎを削ってきた。

 しかし、1月23日、資金難や技術が追いつかず期限の3月末までに達成できるチームがない見通しだ、とレースを主催する米Xプライズ財団が発表。10年に及ぶレースの終結宣言をした。

 日本に伝わる昔話「月の兎(うさぎ)」になぞらえ白い兎「白兎(ハクト)」と名付けられたチーム。専門的な職能を生かすボランティアのプロボノはこの7年で約70人に、支援者は3500人まで膨らんだ。KDDIを始め、Zoffやセメダイン、日本航空など31の企業や団体がハクトの「夢」に乗った。

「とても残念。悔しさもあります」。ハクトチームの代表・袴田武史さん(38)は主催者発表の翌24日の会見で語った。押し寄せた報道陣を前に、最後まで「断念」という言葉を避けた。

 その言葉遣いの裏には根拠がある。ハクトの運営母体の宇宙開発ベンチャーispace(アイスペース)が101.5億円というベンチャー企業としては世界最大級の資金調達を昨年12月にすでに成し遂げたからだ。ispaceの代表取締役も袴田さんだ。ハクトの技術は、ispaceの月面開発に引き継がれる。むしろ、レースはステップに過ぎないともいえる。

 月での活動は、これまで国家が開発してきた領域だった。衛星開発などと比べ民間には難しかった分野とされる。ハクトは日本で唯一民間で取り組んできたという。

 袴田さんは幼い頃に映画「スター・ウォーズ」にあこがれ宇宙を夢見た。「宇宙船が飛び交う世界、かっこいい」。宇宙産業の未来づくりに自分の将来を定めた。

 大学では航空宇宙工学を、大学院では航空宇宙システムの概念設計を学んだ。修了後は、ビジネス戦略を外資系コンサルティング会社で磨いた。

「月まで行ければハクトが必ず優勝する」。そう袴田さんは繰り返してきた。ローバーの技術力には自信があった。

次のページ